会長法話

勝部 正雄 会長 第21回(最終回)

大乗佛教の究竟

「大乗佛教は智慧と慈悲の完成にあった」(藤吉慈海上人談)

 そして、大乗佛教の究竟は浄土教であることが、善導大師により明らかにされています。

 しかしながら、大乗佛教の中には幾つかの宗派があり、相対的な見方が通例となり、よって、浄土教も、その相対的世界においては同列に並んでいるように見えますが、はたしてそうでしょうか。

 善導大師の説かれた浄土教が大乗佛教の究竟であると言える特質を法然上人は見通され、全身全霊をもってそれに随順されました。それが、御年四十三歳の時の「一心専念弥陀名号」の文に結実されたのでした。その特質を(不十分ながら)まとめたいと思います。

  • 釈尊は如来であられ、仏陀としての「智(慧)体(慈)悲用」(藤吉慈海師の著書より)であられました。

智慧と慈悲の双方が一体となり、成等正覚に至られました。よって大乗菩薩道には、「上求菩提、下化衆生」と表されています。向上は自らが智慧を極めることであり、向下は衆生へ慈悲を働かせることです。

あらゆる菩薩の誓願に共通する「四弘誓願」においては「衆生無辺誓願度」と衆生を救済する慈悲行を第一としています。

そして、その行を実践する中で、自らの煩悩を滅していく行である「煩悩無辺誓願断」となり、それが智慧を極める実践に通じていくと示されています。

今後に続く世が無佛と五濁悪世の世となるであろうことも見通され、それらを対象とした凡夫救済の善巧方便が、唯一浄土教であると説かれています。

このことは、法蔵菩薩の御出現によるものです。

法蔵菩薩の師であられた世自在王佛は、広く二百一十億にのぼる多数の佛の世界を菩薩に見せしめ、比較検討されたのち、不清浄の行を捨て、清浄の行は摂取されたのでした。(出典・選擇集・無量寿経)

それに基づき説かれている『観無量寿経』の一節に

「佛・阿難及び韋提希に告げたまわく(略)善友告げて言う。汝もし念ずること能(あた)はずんば応(まさ)に無量寿佛と称ずべし。是の如く至心に声をして絶えざらしめ十念を具足して南無阿弥陀佛と称す。佛名を称するがゆえに念々の中において八十億劫の生死の罪を除く」(村瀬秀雄著『和訳浄土三部経』より)十悪五逆の大罪を犯した者も、称名念佛により浄土へ導かれ往くことは、他の経典で眼にすることはなく、浄土教は大乗佛教の究竟であることが示されています。

  • 法然上人のお言葉に、「我等ごときはすでに戒定慧の三学の器にあらず」と。さらに「悪業煩悩のきずなを断たずば、何ぞ生死繁縛(しょうじけばく)の身を解脱する事を得んや」とあります。

当時、世間の人曰く、上人は「智慧第一の法然房」なりと言われていた師であられましたが、御自身の高い智慧から見られた自身は「我々のような者は、戒・定・慧の修行のできる器ではない。それにより、悪業や煩悩の絆を断ち切ることができない私である」との認識に至られ「我が身に堪えたる修行やあると」長い年月にわたり求道されたのでした。

 その暁には、善導大師の導きに会われ、本願力による救済を会得されたのでした。

それは、「愚痴に還(かえ)りて念佛する一行」であったのです。

「法然上人は高い智慧を具(そな)えられたが故に、分別の智慧を捨てることにより、無分別の智慧に至ることができたのです。

この無分別の智慧に至るということは、非常に高い宗教的な英智であり、到底至ることのできない境地であると言えます。

けれども、愚痴に還えりて念佛する人には、無分別の智慧が開かれて来る(広開浄土門)のです。」(東山龍寛上人談)

法然上人こそは、現実には煩悩具足の(凡夫)身を深く認識されながら、この五濁悪世の此岸において阿弥陀佛の本願を蒙(こおむ)り、お念佛をお称えすることにより、この現実を超えた無分別の境地(摂取不捨の光明の世界)に至られ、如来される生命を我が生命とされて、今生に生きられたのでした。その真実を選擇集に

「佛教に随順し、佛意に随順し、佛願に随順する」と、明記されています。

『法然上人行状絵図』の六巻に、

「末世の凡夫、弥陀の名号を称せば彼の佛の願に乗じて、確かに往生を得べかりけり」という理を思い定め給いぬ。これにより承安五年(1175年)の春、生年四十三。立ちどころに余行を捨てて、一向に念佛に帰し給いにけり。と、記されています。

ここに至られたことは、深い御内省により、中でも「尸羅清浄ならざれば三昧現前せず」のお言葉であると思われます。

それにより、「我が身に堪えたる修行やあると」求道された結果、「三昧現前の師・善導大師」のお導きにより、称名念佛(他力本願の御力)によって、「三昧現前の御実体験」へと上人は至られたのでした。

この御縁に会わせていただけたことは、今生の一大事であり、限りある命に生かされ、そして、限り無きいのちへ往かされることは、感謝に堪えない経験であります。

合掌

 これをもちまして、平成30年9月から3ヵ年間。本年8月末をもって、今期・布教師会の諸事業を終了させていただきました。

 ご愛読賜りました有縁の方々に心より感謝申し上げ、日々のお念佛ご精進を祈念申し上げます。ありがとうございました。

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