会長法話

有本 亮啓 前会長 第5話

 「六方(ろっぽう)礼(らい)経(きょう)」というお経があります。六方とは東南西北上下の方向を指すのです。その六方を拝みなさいと教えて下さるお経です。
  まず、東を拝むということは、それは、親を拝むということです。「咲いた花みて喜ぶならば、咲かせた根元の恩を知れ」とありますように、今、私たちがなんとか成長させていただいたのは、根元、すなわち親の恩があったればこそ、感謝して拝むのです。
  南を拝むとは、恩師・先生を拝むこと。最近は先生を敬わなくなった。昔は「三尺下がって師の影をふまず」。近年は「三メートル下がって師のハゲを笑う」。困ったことです。師、先生を敬い、拝まねばなりません。
  西を拝むとは、家族が拝みあうことです。家族ほどありがたいものはない。ともに苦労を乗り越え、楽しみを分かち合うのですから、当然のこと乍ら、拝みあうのです。
  次に、北を拝むのは、友を拝むのです。友が多くいてくれるのはうれしいものです。友を拝み、友を大切にせねばなりません。
  上を拝むとは、み仏を拝ませていただくのです。み仏のおかげによって私たちは生かされ、守られ、救われるのですから、拝ませていただくのが当然です。
  最後に、下を拝むのは、この私のために力になってくれた部下、目下の人たちに感謝の念を込めて拝むのです。
  以上、六つの方向を拝む意味を簡単に述べましたが、別に方向にこだわる必要はありません。一応順序立てて、お釈迦さまがお説きくださっているのです。  拝むということは、恩をかむという意味です。「おんがむ」の「ん」が略されて、「おがむ」となったのです。恩をかみしめていく、恩を知っていくということが、知恩、すなわち知恩院さまの知恩です。そして恩を知ったならば、当然のことながら、恩がえしをしていかねばなりません。「恩を知り、恩に報ゆが、人の道」と申します。恩をかみしめ、感謝の念を込めて、拝む生活、それが南無阿弥陀仏なのです。お念仏を称えましょう。

  合掌

バックナンバーを見る