会長法話
人間は何を目的として生きるのか。お釈迦さまは35才にして覚りを開き、仏と成られ、人間の生きる目的は「成仏」であるとお示し下されたのです。私たち仏教徒は仏になる為に、成仏を目標として生きねばなりません。では、仏とは何か。仏とは正覚者と訳され、覚りを開いた尊いお方との意味ですが、これではよく分かりません。そこで俗説ですが、仏とは「ほどける」ということばから説くと分かり易いのです。「ほどける」「ほどけ」「ほとけ」「仏」です。
私たちはお互いに身と口と意(こころ)にいろんな罪煩悩を重ねています。特に心の中は煩悩の糸がもつれて、どうしようもない状態です。そういうもつれが奇麗にほどけて、整った状態を「ほとけ」というのです。だから仏に成るとは、整った、完成された人に成ることです。
ところが、完成された人に成っている人がいるでしょうか。また、成れるのでしょうか。法然上人は比叡山で大変な修行や学問に打ち込まれご精進なされました。比叡では智慧第一の法然房と謳(うた)われ、誰もが法然さまこそ覚りを開かれたお方だと誉め称えましたが、ご本人は自分自身を深く正直に見つめられて、「私はどうしても覚りを開くことが出来ぬ、この世で仏に成れない。そんな私を哀(あわ)れに思われた阿弥陀み親さまが、尊い親心でもって、私に代って罪を購(あがな)って下され(代受苦)、私に代って善行を積んで下され(代修)、それをすべて阿弥陀というみ名に込めて下された。だから南無阿弥陀仏とみ親さまのみ名をお称えすれば、私たちのような、この世で仏に成れない者は、必ず極楽へお救い頂き、やがて彼(か)の国に於いて修行して仏と成らせて頂けるのです」とお説きなされ、浄土宗をお開き下されたのです。
私たちはお念仏をお称えし、阿弥陀仏のお迎えを頂き、極楽に往生し、やがて極楽で成仏するのです。これが浄土宗門葉の生きる目的です。
南無阿弥陀仏