会長法話
浄土宗日常勤行のおはなし 十三、一枚起請文
(本文は既知の通りにて略します)
起請文とはみ仏にお誓いする文という意味です。法然上人が、阿弥陀さま、お釈迦さまに命がけでお誓い下さった一枚のご文が一枚起請文です。僅か三百字程の短かい仮名まじりの法語ですが、極めて簡潔に、しかも浄土宗の教えの要が解り易く述べられています。これを広げれば浄土宗の教えの根本を筋道を立てて述べられた立教開宗の聖典といわれる「選択本願念仏集」ともなり、あるいは浄土三部経ともなり、遡れば釈尊の一切経ともなると言われております。
法然上人はおん年75才、無実の罪で四国に流罪になられるは「我たとひ死刑におこなわるともこのこといはずばあるべからず」(お念仏にお咎めが有って、かりにお念仏を申せば死刑になると云われても、お念仏は決してやめません)とおっしゃいました。お念仏こそ我(わ)が命であり、我が生き甲斐であるとの大宣言なのです。やがて罪が晴れ流罪が解かれ、おん年80才ご往なされる二日前に愛弟子勢観房源智上人(総本山知恩院第二世)に託されたご遺言こそ「一枚起請文」です。
人間が生きるということは、一口で言うと、生き甲斐を持つことであると私は思うのです。そして生き甲斐とは、この自分を必要としている人がいることだと思うのですが、如何でしょう。
お念仏をお称えすると生き甲斐が持てるのです。すなわち、阿弥陀み親さまが、愚かなこの私を必要として下さるのです。たとえどのような苦難があろうとも、また天涯孤独ひとりぼっちになったとしても、阿弥陀み親さまが「わが名を呼べ、お念仏を申せ、この阿弥陀を頼ってくれ、お前を救わせてくれ」と、この無力な私を必要とし、守って下さり、救って下さるのです。
これ以上の喜び、幸せはありません。一生涯いや永遠にお念仏を生きがいとして、お念仏に精進したいものです。
合掌