会長法話
有本 亮啓 前会長 第22話
浄土宗日常勤行のおはなし 十四、摂益文(しょうやくもん)
光明徧照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨
「如来の光明は あまねく 十方の世界を照らして 念仏の衆生を摂取して 捨て給わず」
このご文は浄土宗の大切なお経である仏説観無量寿経の中の仏さまの真実のお身体を観察する第九観 真身観の中のご文です。阿弥陀さまには特にすぐれた数限りない尊い相(すがた)があり、その相より数限りない光明を放たれ、その一々の光明がすべての世界を照らして念仏を称える人を一人残らず救いとって、お捨てにならないというのです。
阿弥陀さまのことを無量寿仏とも云い、無量光仏ともおがまさせて頂きますが、「いのち」に限りがないのを無量寿、「み光」に限りがないのを無量光というのです。その阿弥陀さまの光明(み光)について無量寿経の中には十二通りの光明があると説かれ、これを十二光仏と申します。
その中で、特に清浄光(しょうじょうこう)は貪りの為に泥沼のように汚れた人の心を清らかにし、歓喜光(かんぎこう)は、怒り、ねたみ、そねみのとがった心をまどやかな喜びの心にかえ、智慧光(ちえこう)は物の道理が分からない愚かな暗闇の心を明るく導いて下さるのです。そして知らず、知らずの間に身も心も柔和円満な人に成るというのです。
それは、専ら念仏を便りとして、お照らし下さる阿弥陀親さまの光明によるのです。その趣を法然さまがお歌にお詠み下さったのが浄土宗のお歌、宗歌「月かげ」なのです。
「月かげの 至らぬ里は なけれども、ながむる人の心にぞすむ」
月の光がとどかぬ人里はないけれど、ただ眺める人の心にこそすみわたるのです。
合掌