会長法話

勝部 正雄 前会長 第1話

恨むことなかれ

  敵陣を恨むことなかれ 遺恨を結ばば、その仇世々に尽き難かるべし
(法然上人行状絵図)
 上のお言葉は、浄土宗をお開きくださった法然上人の父・漆間時国のご遺言です。世は平安時代末期、時国さまは、源内武者定明の夜討ちで一命を落とされ、その臨終時、子どもの勢至丸に語られた一節です。
「敵の人を恨んではならない。もし、恨みの心をもったならば、その恨みは何世代にわたっても尽きることがない」と。早くこのような暮らしから離れ出家して仏さまの心を求めるにこしたことはない、と諭されました。勢至丸は、父の遺言通りの人生を求められ、その到達点が浄土宗の開宗となりました。
 この遺言に通じるお言葉は、お釈迦様の『法句経』に説かれています。
 「怨みは怨みによって鎮まらない。怨みを忘れてはじめて怨みは鎮まる」と。
 これを、第二次世界大戦後の講話会議の席で、スリランカの代表が引き合いに出され、日本に対する賠償を委棄されました。戦争当時、日本軍は多大な人命を奪い大きな被害を与えたことでしたが、それに対して、怨みは怨みによって鎮まらないと、お釈迦さまの一句を提示されたのです。
 歴史上で輝く「真の講話」会議であると共感いたしました。スリランカの誠意を日本は忘れていないでしょうか。その後、年月が経って、日本の外交や会議において、謝罪・反省の心情が感じられない場面を見てきました。
 「その誠意ある言葉に、日本はどのように返すべきでしょうか」との意味が、ある時、外国の報道談話で耳にしたことがあり、心に冷気が走りました。誠意のこもった言葉に、誠意ある言葉が返せなかったならば、また来た道を再び歩くことになりかねないと思います。
 「怨みを忘れて、はじめて怨みは鎮まる」とは「怨みを許す」言葉であり、それに対して、「犯した罪」を忘れていない深い反省の心情を返すべきではないでしょうか。
 その双方の誠意により「怨みのつながりが解かれ」「平等施一切(双方が等しく施しあった)」世界へと開け往くことではないでしょうか。
 日々の生活において恥ずかしいことながら「罪のない一日」は送れない人生であります。さらに、怨みの連鎖が切れない人生でもあります。
 あるお方に「あなたならば、いかがなさいますか」と問うと「私は、阿弥陀さまの前で静寂なひととき・お念仏を申させていただきます。その時、平等施一切の世界へ、お互いが誘われますから」と応えてくださいました。
 九歳の勢至丸が受け取ったご遺言の…その応えは、この体験だったのでした。
 怨みしきりと起こるとき、念仏お催促のときと心得て、大切な一日を。

合掌

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