会長法話
楽顛倒の教え
今回は四顛倒の教えの二つ目で、楽顛倒の教えのお話を致します。
此の世は楽な所、楽しい所と思っていると、それは思い違いですよと言うことです。
此の世のことを娑婆と言いますが、この娑婆という言葉は古いインド語のサンスクリットの音訳で、「サーハ」というサンスクリットを漢字に翻訳する時、サーハと音の合う漢字を当てはめたのです。
だから音を合せただけですから、この漢字には意味がないのです。
こういう音訳は沢山されています。
それでは娑婆とは、音訳ですから、漢字を見ていても意味は出て来ませんから、元のサンスクリットのサーハを調べると、その意味は「忍土」と出てきます。
忍土とは、忍ぶ所ということです。
苦しいこと辛いことがあっても、忍ぶ所、辛抱する所と言う意味です。
それでは何を忍ぶのか、何を辛抱するのかと言いますと、四苦八苦を忍べ、とお経には教えています。
四苦とは生老病死です。
生まれ生きる苦しみ、年を取り老人となる苦しみ、病気になる苦しみ、死ぬ苦しみの四つです。
この苦しみは誰も逃げることが出来ません。
生まれれば生きていかなければなりません。
生きていくと年を取ります。
年を取って古くなると病が出てきます。
そして生まれた者は必ず死ぬのです。
だからこの四苦の生老病死の苫しみは、辛抱して忍んで行かなければならないのです。
この四苦にもう四つ足すと八苦になります。
五番目には、 愛別離苦です。
愛する者とは、必ず、別れ、離れなければならない、しかし離れたくないと苦しむのです。
六番目には、怨憎会苦です。
怨み憎しみの者とは逢わなければならないと言う苦しみです。
七つ目は、求不得苦。
求める物が得られない苦しみです。
欲しい物が全て手に入るとはいきません。
最後の八つ目は、五纒盛苦です。
五体が栄えて来ると、盛んになって来る苦しみです。
赤ちゃんの時にはなかったが、大人になるにつれて、盛んになってくる苦しみです。
例えば、名誉欲、地位欲、財産欲、色欲などで苦しむのです。
このように四苦八苦は、逃れることが出来ない苦しみですから、これを堪え忍んでいくのが娑婆なのです。
それを楽しく、楽して生きようなんて、思うのが、楽顛倒なのです。
娑婆即ち此の世は、苦しいことが、あって当たり前の所で、しかも苦しいこと、辛いことから逃げることが出来ない所であると理解していると、現実に辛いこと苦しいことに出くわしても、うろたえることなく、落ち着いて乗り越えられるのです。
楽顛倒の思い違いが分かって戴いたでしょうか。