会長法話

久米 慶勝 前会長 第3話

我顛倒の教え

今回は四顛倒の教えの三番目で、我顛倒の教えのお話を致します。
我がもの、我が力と思っていると、それは、思い違いであると言うことです。
だから我はないのです。
例えば、無我夢中とか、無我の境地とか言われるように自分にとらわれない、執着しない行き方をしなさいと言うことです。
自分を最も大事にし、自分中心、自分さえ良かったらよいと言う生き方は大いに思い違いです。
我、私というものを見てみましょう。
先ずは、縦の私を見ると、私が生まれて来るには、 父、母のふた親がなければ、生まれて来ません。
その両親もそれぞれふた親あって、四人の親となります。
三代逆のぼると八人の親になり、四代逆のぼると十六人の親となり、倍々となっていきます。
そのように十代逆のぼると、1024人の親となりますこれを合計すると、2046人の親になります。
その内、一人でも欠ければ、私は生まれて来れません。
そしてどの親も親ならば、どうぞ我が子よ良い子に育ってほしいと願いを込めて育てます。
だから子供の私は十代逆のぼっても2046人の親の願が込められた私です。
その十代目の親にも、それぞれ両親がなければ生まれて来ませんから、二十代、三十代と逆のぼっていくと数え切れない親の数になります。
よって私は数え切れない親の願いが込められた私であるのです。
また横の私を見てみると、此の世に生まれたその瞬間から、きれいな空気を吸っていますが、このきれいな空気は、緑の草木の酸素同化作用によって出来るのですから、我々と緑の草木はお互いに生かされて助け合って生きているのです。
水のおかげ、太陽のおかげ、天地一切のおかげあればこそです。
またアラビヤの人のおかげで石油が手に入って助けられています。
日本の衣食住はすべて石油です。
しかしアラビヤの人も石油の代金で生活が出来るのですから、お互いに助け合って生きているのです。
横の私も共生、ともいきで生かされているのです。
このように縦にも横にも我々は計り知れない他力のおかげで生かされていることを諸法無我と言います。
お釈迦様の悟りの二番目です。
諸々の関係は我でない。
あらゆるおかげさまで生かされているということです。
このおかげさまを気が付かずに自分の力で生きていると思い違いをしていると、自分の思うようにならないので腹が立ち愚痴がこぼれて、挙句の果ては事件を起こしてしまって人生を棒に振ってしまった人が毎日の新聞に出ているのです。
おかげさまを喜び「ありがたいことよ」「おかげさまで」「もったいない」と、手を合わせて頭を下げる喜びの日々を過ごしましょう。

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