会長法話

中村 晃和 前会長 第1話

「戦後七十年を迎えて」

 今年は戦後七十年を迎えました。

 連日のように、テレビや新聞等で様々な角度から検証され、先の大戦の事が報道されています。いずれにしましても、戦闘員・一般市民を含め三百十万人もの人が亡くなられました。

 塗炭の苦しみ・絶望の中で亡くなっていかれた方の悲しみ、又残された方々の悲しみはどんな言葉をもってしても表現できません。

 ある時、お釈迦様は、お弟子に「今まで人が、愛する人との別れの中で流してきた涙の量と大海の水とどちらが多いだろうか」とたずねられました。お弟子は「愛する人との別れに流した涙の方が多いと思います」と答えると、お釈迦様はたいへん満足されました。
 振りかえれば、人類は戦いの歴史でもありました。戦いのない日は一日たりもなかったと言われています。

  人間は平和に耐えがたい存在だと言った人がいました。「どうせ死ぬ、いずれ死ぬのに殺し合い」という川柳を詠んだ人がいました。

  今年の世界の軍事費は二百十三兆円だと発表されていました。世界中、飢餓で苦しみ亡くなっていかれている人がたくさんおられるのに、軍備という何も生産しないものに気の遠くなるような莫大な金額を使っている現実を見た時、人間とはなんと愚かな存在かと言わねばなりません。

 アインシュタイン博士は「無限なるものに二つある。一つは宇宙であり、もう一つは人間の愚かさである」と言われました。

  私達は、取り除くことができない煩悩(心を悩ませ、体を煩わすものとなるもの)を持ち合わせています。煩悩は無限にありますが、煎ずるところ、懺悔文にありますように貪(欲)・瞋(恚)・痴(愚)の三つに集約されます。 

 人は際限のない欲望を持ち合わせています。その欲が満たされない時怒りの心が生じます。それが争いのもとになります。

 欲と腹立ち、怒りの煩悩のもとはといえば、道理に暗いという愚痴の煩悩から出発しています。

 愚痴の煩悩のことを無明と言います。字のとおり、明るさがないということで、闇ということになり、仏教では心の闇を無明と言います。闇ほど恐ろしいものはありませんし、闇は闇自身で消すことはできません。どうするのか、光が差し込むと闇はおのずと消えるのです。又、光が消えると、たちまち闇となります。闇と光とは不思議な関係にあります。

  仏教でいう光とは仏教のことであり、仏様のみ教えです。仏様とは私達の心の闇を照らしてくださっている尊いお方です。

 今の時代に、非現実的な理想的なことを言うかとおっしゃるかもしれませんが、お釈迦様が、次のようなお話をお説きになられました。

 インドの戦国時代にある王さまがおりました。仏門に深く帰依して、国民に無益な殺生をしないようによびかけ、自分自身も仏道修行をなされ、殺生をつつしまれ、徳を積まれました。当時は戦国時代でしたが、その王さまの国だけは在位六十年の間、一回も外敵から侵略されることはなかったという話です。

 ブータンという国があります。南はインド、北は中国という二つの大国にはさまれた小国でありますが、人々は平和で幸福な生活を営んでおられます。ブータンは仏教を全ての政策のベースにして、すべての生命に慈しみの心をもって接し、徳を積むことを大切にして生きる優しい国です。戦後七十年を迎え世界中が不安定になり日本を取り巻く環境も厳しさを増しています。

 また、先に書きましたように、人間は怒り・腹立ちの煩悩はなくすことはできません。ですから、抑止・防衛は必要でしょう。同時に私達は仏道修行し、お念仏を申し、徳を高め、世界の人々から尊敬される国となることが子孫のためにも今、最も大切なことであります。 最も平和な宗教は仏教であります。

  南無阿弥陀仏

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