会長法話
中村 晃和 前会長 第5話
「焼け火箸(ひばし)のたとえ」
ある時、お釈迦さまは、お弟子にむかって、次のように問いかけられました。
「悪いことを、悪いと知りながら、悪をなすのと、悪いことを悪いと知らないでなすのとはでは、どちらが罪が重いか」と。
するとお弟子の一人が「知らないで悪をおこなうより、知っていながら悪をなすほうが罪が深いのではないでしょうか」と答えました。
皆もそう思っているだろうが、そうじゃないのだとおっしゃられ「焼け火箸」の例えを示されました。
「ここに焼け火箸があって、その焼け火箸を掴(つか)まねばならなくなったとしよう。
持てば大変な火傷(やけど)をすると知っている者は、つかみ方が違うから火傷の程度も軽くすむ。しかしながら焼け火箸の熱さを知らない幼子が持ったとしたら、ギュッと握ってしまい大ヤケドをしてしまうだろう」
この例えからしても、悪の自覚のない者がやることは歯止めがなくとことんやってしまいます。
悪の自覚のある者は、後(うし)ろめたさがある、その分どこかに手加減があるし、悪の自覚のあるものは懺悔(さんげ)し、それを改めるという期待が持てます。
今の時代は悪の自覚のない犯罪が多発して始末におえません。そのため、私たちでは全く理解も考えも及ばない残忍な犯罪がふえています。例えば、悪魔の仕業かと思われるような尼崎連続変死事件などがそうであります。
我欲を権利とはきちがえている人間がゾロゾロでてきてしまい、生きにくい時代となっています。
それでは悪(罪)の自覚はどこからくるのでしょうか。それは、仏様の光に照らされているものにしてはじめて自覚が生れ、そこから懺悔の心が生まれるのであります。
どうぞ皆様ふるってお念仏を申して下さい。
南無阿弥陀仏