会長法話

中村 晃和 前会長 第14話

「人生を見つめるお釈迦様のみ教え(黒白二(こくびゃくに)鼠(そ)の喩(たとえ))が示すもの」


 ふと気がつくとその人は茫々たる荒野にたった一人たたずんでいた。
 まわりを見わたすと、向こうから狂象がその人に向って突進してくるのが見えた。
 あわてたその人は必死になって狂象から逃げようとした。
 狂象はどんどん近づいてくる。
 もはやだめかと思ったとき、そこに一つの古井戸があった。
 井戸の中には藤(ふじ)蔓(つる)が延びておった。
 その人は藁(わら)にもすがる思いでその藤蔓を伝って井戸の中へ逃げ込んで、やっとその難を逃れ九死に一生をえた。
 古井戸の中は暗くて当初周囲は見えなかったが、やっと目もなれて周囲をうかがって見ると井戸の底には毒蛇が住んでいて、かま首を上げ、大きな口をあけ、その人が落ちてくるのをいまかいまかと待ちかまえている。
 上を見ると、自分がつかまっている藤蔓を白と黒のねずみが交互に出てきてはかじっているではないか。
 このままではやがて藤蔓は噛み切られてしまう、その人は恐怖感にかられていると、上からひと滴(しずく)ふた滴と何かしたたり落ちてくるものがある、それを口に含んでみると、なんとも甘くて美味しい。
 見れば蜂が巣をしておって蜂蜜が落ちてきておったのだ。
 その人は、下に毒蛇が待ち受けていること、藤蔓はねずみにかじられて細くなっていく現実をしばし忘れて、その蜂蜜の美味しさに酔いしれておった。と言う喩え話である。

 この話だけでは何のことかはわかりませんが説明を加えてみますと、 狂象と言うのは人生は無常であることを教えています。
 無常の風はいつも私たちの周りを吹いています。
藤蔓と言うのは私達のいただいている寿命のことで、白と黒のねずみとは、白は昼、黒は夜を表わし、昼と夜とが交互にやってきて寿命はすこしずつ短くなっていることを表わしています。
  毒蛇は、私達の寿命が尽きて次の世界―三悪道(地獄・餓鬼・畜生)を示しています。蜂蜜はそういう厳しい現実の中で、しばしの人生の楽しみ(―五欲―財産欲・食欲・名誉欲・性欲・睡眠欲)に心奪われて生きている様子を表わしています。
  その人とは、誰のことかと言えば私自身のことです。私たちの人生はこういう厳しい現実の中にあることに気づきなさいと、お釈迦様はおしえておられます。そして藤蔓が切れる前に三悪道へ落ちることのない道を求めよと、諭しておられるのです。 これが有名な黒白二鼠の喩と言われるものです。
 このお喩から、厳しい現実の中に生きていることを自覚し迷い苦しみの世界(三悪道)を解脱させてくださる阿弥陀如来のお慈悲を信じお念仏精進しようではありませんか。

 限りある
  いのちを持ちて
 限りある
 いのちを持ちて
 限りなき
  いのちのひとを
 恋いたてまつる
  いきとし生けるもの
  いつの日か終わりあり
  されど
  終わりなきひといますなれば
  いちじつのうれしかりけり
 ひとよの楽しかりけり
      仏教詩人 坂村 真民

バックナンバーを見る