今月の法話
令和5年6月
「言語道断」
お悟りをお開きになったお釈迦様の真理は、容易く(たやすく)ことばで伝えられるものではありません。お釈迦様の時代よりずっと以前に文字はありましたが、お釈迦様は、そのお悟りの悦びを独り占めすることなく、深い葛藤の末、手を変え、品を変え、実にさまざまなことばを用いて多くの弟子や信者達に口伝されて参りました。
よく政治家が、「ありえない」、「許されない」といった否定的な意味で用いる「言語道断」とは、「言語」を「ごんご」と呉音で読むように仏教に由来することばです。「仏教に説かれた奥深い真理は、ことばで表わすことができない」という意味であり、仏の真理と人間の知識との次元の隔たりをいうのです。
いつかテレビでみた食レポの場面、あまりの美味しさを視聴者に伝えることに困惑し、挙句の果てに「ことばでたとえようのない美味しさ」と結んでいました。経験の無い感動を表現する時、人はことばを失うことはよくあることです。まして仏の世界、悟りの悦びをことばで伝えることは言わずもがなでしょう。
つまり、お念仏をお称えすれば必ず阿弥陀様のお浄土へすべての人を平等に生まれさせて頂くという真理は、この我々の現実世界の経験や学識で詮索しても説明尽くすことはできません。それほど尊いみ教えがお念仏なのです。
お念仏の元祖法然上人は、「智者のふるまいをせずして ただ一向に念仏すべし」と示されました。ただただ仰ぎ信じ、お念仏をお称えする中にこの世も後の世も救われる、絶対の安心を得ることが出来るのです。
まずはお念仏をお称えすることから始めましょう。
合掌
滋賀 西福寺
稲岡純史