今月の法話

令和4年11月

『この世も、後(のち)の世も』

 コロナ禍もようやく終息が見えてきた一方、ウクライナ侵攻は一向に収まる気配がなく、世界中に暗い影を落としています。私たちの生活も、とどまることのない物価の高騰等、この先どうなってしまうのか全く見通しが立ちません。誰もが大きな不安を抱えて生きていかなければならない、そんな今こそ、この世を生きる上での「心のよりどころ」が必要です。

 そもそも「宗教」とは「この世を生きる指針」であり、生きていくうえでの「心のよりどころ」となるのが「信仰」です。「宗教」「信仰」を持たずに生きるということは、羅針盤を持たずに大海原を航海するようなもの。なんとも頼りないことではありませんか。

 法然上人がご開示されたお念仏のみ教えは、阿弥陀さまの救いを信じて「ナムアミダブツ」と称えれば、誰もがこの身このまま極楽浄土にお救いいただける、という教えです。阿弥陀さまは、生きとし生けるものを分け隔てなく極楽に救おうと願い、私たちの称える「ナムアミダブツ」の声が聞こえてくるのを、耳を澄まして常にお待ちになっています。いつどこで称えても、どんなに小さな声でも、私たちの称えるお念仏の声を、一声も漏らさずお聞き下さっているのです。そして、息絶える時には阿弥陀さまが自ら迎え来たり、極楽にお救い取り下さるのです。

 日々に「ナムアミダブツ……」と称え、阿弥陀さまの寄り添いと導きをいただきながらこの世を生き抜き、人の身を終えた後には極楽にお救いとりいただく。この世に生きている間は勿論、人としての生涯を終えた後までも、誰一人として決してお見捨てにはならぬ阿弥陀さまを信じ、「ナムアミダブツ……」と申す中にこの世を力強く生き抜いていく。これが法然上人が示されたお念仏の信仰なのです。

 混迷を極める今こそ、阿弥陀さまの大慈悲のみこころを「心のよりどころ」といただいて、阿弥陀さまのお迎えをいただくその時まで、只々「ナムアミダブツ……」です。

合掌

千葉 浄蓮寺
郡嶋泰威

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