今月の法話

令和4年2月

往生の障りとはならず

 最近の映画館の最新設備は画面も大きくて鮮明、音響も優れ、視覚・聴覚さらに身体全体でも感じることが出来ます。各自お気に入りのサスペンス、人情話、恋愛話、ホラー映画など、上質な映画を楽しむことができます。

 お気に入りの映画に見入っている時は、知らぬ間に時間の経過も忘れ画面の世界に引き込まれて行き、視聴後には感動の余韻が残り、元気や勇気が湧いてきたりもします。

 この煩悩だらけの凡夫の私達は、映画に見入って集中出来る時もあれば、大事な本を読んでいるのに様々な思いが沸き上がり、さっぱり頭に入ってこない時もあります。時に集中出来たり出来なかったり、実に不思議な心模様でありますね。

 皆様はお念仏を称えている時は如何でしょうか・・・次から次へと様々な思いが頭や心の中に浮かんでは消え、消えては浮かび、集中しようとすればする程、とめどもなく色々な思いが浮かび上がってきてしまうものです。

 法然上人は「煩悩を持つこの我が身故、自然と色々な思いが湧き上がってくることは致し方の無いことなのであります」と示され、

 さらに「お念仏を称えている時に良くない思いが浮かんでしまうのは、あらゆる凡夫の悲しい性なのです。そうはいっても、往生の志があってお念仏するのであれば、決してそれは往生の障りとはなりません」と明確にお示し頂いています。

 そのように、お念仏の最中にたとえ様々な思いが湧き上がってきたとしても「間違いなくお念仏を称えて往生させて頂くのだ、という思いを以てお称えしたならば、全ての人々が最後臨終の時には、必ず往生させて頂けるのです」との有難いお示しであります。

 共々煩悩を持った凡夫の身ではありますが、その身そのままに、お念仏のお称えを続けて参りましょう。

合掌十念

埼玉 圓福寺
池田常臣

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