今月の法話

令和5年9月

心の置きどころ

 楽しい旅行から我が家に帰って来ますと、多くの方々が「我が家が一番落ち着くなぁ」と言われるそうです。

 このように心が落ち着く場所や環境は様々あります。海や山といった自然で心落ちつく方もいれば仕事場が落ち着く方もいらっしゃるでしょう。また場所に限らず、家族や恋人や友人といることで落ち着く方や趣味に没頭することで落ち着く方もいらっしゃるでしょう。

 しかし今申し上げたような場所や人や環境は不変のものではありません。私たちの人生には多くの「まさか」があります。経済的な「まさか」、災害的な「まさか」、健康的な「まさか」、数多くのまさかに出会う人生です。そのような多くの「まさか」の中でも私達にとっての一大事は命に関する「まさか」です。この「まさか」に出会った時に私たちの心は大きく乱れます。そんな私達の「まさか」を温かく見守って下さるのが阿弥陀様です。

 例えこの世での命が終わったとしても、南無阿弥陀仏と唱えたならば一切の苦しみ、煩いのない西方極楽浄土へと迎え取って下さるのです。私達はこの命の「まさか」に備えて阿弥陀様、西方極楽浄土、お念仏にしっかり心を落ち着ける事が大切なのです。

 この三つに心を定め置かれた事により、苦しみを乗り越えたご夫婦がいらっしゃいます。

 私とご夫婦がお出会いしましたのは知恩院で春秋に行われますライトアップでの「お坊さんの話を聞いてみよう」という法話会でした。

 20分程度のお話の中で「阿弥陀様を心から信じ、西方極楽浄土に救って欲しいと願い、心からのお念仏を唱えれば、必ず救われますよ」とお伝えさせて頂きました。

 お話が終わりますと、そのご夫婦が私にこのように話しかけて下さいました。「今日はお話聞かせて頂きありがとうございます。実は私達、この夏に息子を亡くしたのです。息子は水難事故で亡くなり、未だ体が見つかりません。私達はどこに向けて手を合わせて良いのかもわからないままでしたが、おかげで答えが見つかりました。私達が心から南無阿弥陀仏とお唱えすれば息子は西方極楽浄土にいるということですね。私達は極楽に向けて手を合わせて息子を思えば良いんですね」と

 この世で命を頂いた限り、いつの日か命の「まさか」は必ず訪れます。しかしその様な苦しみから救い取って下さるのが阿弥陀様です。 心の置きどころをしっかり阿弥陀様に西方極楽浄土に定めて日暮らしにお念仏唱えて参りましょう。

京都 公安院
菱田俊也

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