今月の法話

令和4年8月

智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし

 残り短いいのちを必死に生ききるように、今日も蝉が鳴き立てています。

 『念死念仏(ねんしねんぶつ)』とは浄土宗二祖聖光上人のお言葉で、常に「出る息入る息をまたず、入る息出る息をまたず」、常に死を意識し、「助けたまえ阿弥陀仏」と念ずることです。吐いた息がまた吸えるとはかぎらない。吸った息がすぐ吐ける保証はどこにもない。「死」を忘れるな、常に念仏せよということです。

 蝉は、暗い地中で幼虫時代を七年間も過ごすと言われます。永い暗黒の時を経て、やっとの思いで地上に成虫として生まれ出ても、ひと夏だけの短いいのち。しかしそのいのちを満喫するかのように「私は蝉です!私はここにいます!」と鳴き続けます。

 暗黒の迷いの六道の世界を永い間生まれ変わり死に変わりしてきた私たちは、尊い不思議な縁を得てこの世に生を享け、有難くも今生で仏法に出遇えました。だからこそ限りあるこのいのちに感謝をし、常日頃からお念仏を忘れずに、いつも阿弥陀様と離れず、往生を確信しながら充実したいのちを送りたいものです。

 この自然界は植物も動物も、死という限界を意識した時、死を乗りこえるためいのちを成熟させようとして、すばらしい現象を起こすとも言われます。

 蝉しぐれは、法然様や聖光様が、「いのちをみつめ、生まれつきのままでひたすらにお念仏をお称えしよう」と檄を飛ばして下さっているかのようですね。

合掌

福岡 浄土寺
松尾善樹

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