今月の法話
令和3年10月
稔りの秋 ——無量の宝——
見渡せば、野も山も「稔りの秋」。コロナ禍に喘ぐ月日も、思えば2年近くに及ぶのです。どんな環境下にあっても、野の幸、山の幸の豊穣の喜びを私たちにもたらしてくれていることに、感謝と畏敬の念を深めずにはおれません。
「稔りの秋」の言葉は、言い古された言葉ながら、その言葉の重さ、深さをしみじみと考えております。様々な稔りをもたらせてくれる野山の作物に思いを寄せるときに、春夏秋冬それぞれが順応して、「種蒔き」「発芽」「培根」「養分吸収」「伸長」「開花」「受粉」「結果」、そして「収穫」——稔りの秋の今日の訪れとなることが理解されます。
人生も、思いをこれらに重ね合わせると、知らずと思い知らされることに気付きます。長いようで限りある今生、これでよいのかと自己を内省させられる思いが強く起こります。
元祖さまは今生の思い出の第一に「浄土の法門に会えた」ことを先ず挙げられておられるのです。永い求道のご苦労の果てに手にされたのが「浄土の法門」、お念仏であり、法然上人にとって言うまでもない今生の稔りの確かなものと言えましょう。
おかげさまでお念仏に出会わせていただいた私たちは、この最高の稔りの宝を失うことのないように、行住座臥にお念仏をお称えすることに励んでまいりましょう。
念仏にものうき人は
無量の宝を失うべき人なり
(『十二問答』)
滋賀 西方寺
安部隆瑞