今月の法話
令和4年5月
自分を責め人を責めるのをやめよう
お寺の標語などに対して「いいこと書いてあるけど・・」と苦笑される人が多い。
確かに、お寺では理想のことを掲げています。しかし、できないからといって〈しない〉では、もったいないこと。たとえできなくても〈しようと努めること〉が大事です。そこから学びや気づきが得られ、行じ続けることに意味があるのです。
宗祖法然上人の教えがまさにそれです。
「自分は罪悪深重の凡夫である。その私が救われる道はお念仏を称え続けるしかない」と。
口で称える易しい行ですが、日々続けることは容易ではありません。でも、仏さまの救いを求め、コツコツと続けることで救いの道が開けるのです。
私たちは、物事がうまくいかない時、自分を責めダメ出しをしてしまうことがあります。また責任回避をしたくて、他人や物のせいにしてしまう自分もいます。それらは心地よいものではありません。
自分にも色々な事情があるように、各人各様の事情があるのです。それを自分の視点だけで人を責めても円満な解決にはなりません。
人は誰しもコンプレックス(劣等感)を持っています。他人と比べて、足りない所を責めると萎縮してしまいます。それよりも、今のありのままの自分を受け入れ、自分のできている所はほめて、自分を肯定していく方が 生き方としてラクです。自分を大切にできるのは、自分だけですから。
自分や人を責めることで良いことはありません。おおらかに寛容に、コツコツと行じていきたいものです。
南無阿弥陀仏
合掌
京都 專称寺
亀山政臣