今月の法話
誠の心で
ある御住職が修行中の若い頃、お師匠様について法事に出掛けたそうです。お勤めの後、仕上げの食事につかせてもらうことになりました。そこの家は四代続いた料理店で、この日は、当主自ら腕をふるい参詣者に料理を振る舞いました。若い僧侶にとっては珍しい料理ばかりで、有り難く頂戴していると、お師匠様が「せっかくのお料理だが、私も年のせいで全部食べきれない。私の分を二皿ほど食べてくれないか」と言われました。食べ盛りの修行僧ですから、「頂戴します」と、お師匠様の分をいただいておりました。
しばらくすると、お師匠様が「何か感じないか」と尋ねられます。そこで、「私がいただいたお料理とお師匠様から頂戴致しましたお料理は、同じものであるはずなのに、お師匠様のは味が薄いように感じました。私も少々お腹がふくれてきていますので、味覚が変わってきたのかなと思っていました」そう言うと、お師匠様は「そうか、気付いたか。ここのお店では、あらかじめ料理に薄味をつけておいて、お客様が男性か女性か、若い方か年輩の方か、あるいは体力を使う方かそうでない方かを見極め、味を調えてから出しておられるのだ。だからこそずっと続いておるのだと思うぞ」とおっしゃいました。その話を聞いて、若い僧侶は、これこそまごころのご馳走だと感心したそうです。
人間にとって、どんな場合にでもまごころ、嘘いつわりのない誠の心は大切なものです。
お念佛も誠の心で申すことが大切です。法然上人のお言葉に、「大勢の中にても念佛は申され候 独り居るときにても念佛は申され候 独り居るときにても申される時は喜ぶべし」とあります。人に聞かせるのではない、人に見せるのではない、独りの時にこぼれるお念佛は誠の心から出る本当のお念佛ですよ、とお示しなのです。
誠の心で、日々お念佛に励みましょう。
京都 天然寺 城平賢宏
京都 天然寺
城平賢宏