今月の法話
京言葉
京都の人は たくさんあるデパートの中で、四条の「大丸」だけを「大丸さん」と敬称をつけて親しげに呼びます。
それは京都の町が不景気で大変困った時、大丸が店の力を振り絞って京都の町衆を助けてくれたことがあったからです。
それ以来、大丸さんと言う様になったそうです。
ちなみに、創業者である下村家は京都の伏見の出身であります。
また、お寺では「知恩院さん」と気軽に言ってくれます。
京都府には千五百、京都市内には五百のお寺があります。
日本人はそのほとんどが仏教徒ですが、仏教と言えば、南無阿弥陀仏、その念仏の元祖様が法然上人、法然上人のお寺が知恩院さん、京都の人々が特に親しみと、敬いをこめて知恩院さんと呼ぶお寺は、まことに日本仏教の総本山と言うにふさわしいと思います。
また、自分のお寺の住職のことを、和尚さん、おっさん、といいます。
伯父さんや叔父さん、また中年以上の男の人に、おっさん、といいます。
お寺の御住職には、おっさん、と語尾を下げて言います。
何とも言えない味わいのある言葉です。
「あぁ、おっさんですか、今日はどちらまで」
「はい、一寸、知恩院さんまで用がありましてな、あんたはんはどこへおいきやす」
「あて、買物がおましてな、大丸さんまで行きますねん」
「ほんなら、どうぞ、気いつけておいでやす」
「へえ、おおきに、ご免やす」
日常、京都の街角で聞くことの出来る、やさしくて、親しみのこもった、更に京都流に言うなれば、はんなりとした気分になれる会話であります。
自己主張をするのではなく、お互いに相手を尊重し敬い合う思いになれます。
四方の海皆はらからと思う世に など波風のたちさわぐらん
私は世界中の人達は皆兄弟と思っているのに、何故、あちらこちらで争いが起きるのだろう。
どこかに自分が世界の中心となろうとする、八紘一宇的な思いではなかろうか、世界には種々な国がある。
たとえ貧しくとも幸せに暮すことが出来る。
ある絵本作家が「世界で一番美しい村」として、今戦禍に苦しむ アフガニスタンのある農村を紹介しているのが話題になっています。
お互いに相手の事を尊重し合って、自分達の考えを押し付けないことが必要です。
アメリカも少し冷静になり、アフガニスタンのタリーバンも、自分達の信条が世界唯一のものだと思わないで、京都式の相手をはんなりさせる様な考え方、話し方が必要なのではないでしょうか。
そうすれば、テロも爆撃もない平和な世界がやってくるでしょう。
知恩院さん、大丸さん、うちのお寺のおっさん、何とも言えない親しみを感じます。
そして、南無阿弥陀仏と称える念仏は「あみださん、たのみまっせ」とお願いする言葉です。
京都 阿弥陀寺
岩井信雅