今月の法話

平成14年10月

暑い夏が過ぎ、十月ともなりますと、空気も澄んでさわやかな秋の気配が感じられます。
空気が澄んでまいりますと、その美しさを際立たせるものは月でありましょう。
ゆれるススキの穂の先に皓皓と輝く月の光、一枚の絵になります。
漆黒の空に輝く月のあかり、まるで私たちの散り乱れる心の上に輝く、一点のあかりのようです。
人生真暗闇、人生一寸先闇などの言葉で表現されるように、私たちの人生は大きな不安とのたたかいでもあります。
小さなおのれにしがみつき、自己中心、自分絶対、おれが・おれがの我欲をふりかざし、その結果周りから遠のき、一人ぽっちとなって孤独となってはいませんか。
孤独でさみしくてどうしようもないのに、それでも小さなおのれにしがみつき、ボロボロになって頑張ってはいませんか。
しかし、心の中のおのれという扉を少し開いてみると、外には皓皓と輝く月のあかりが一面を照らしている、そういう世界があるのです。

浄土宗を開かれた法然上人は、次のような和歌を詠んでいます。

月影のいたらぬ里はなけれども
ながむる人の心にぞすむ

み仏の光明を月影にたとえ、阿弥陀さまの慈悲のみ光はすべての人にそそがれているのです。
けれどもながむることをしない人には、美しい月がわからぬように、お念仏を申さない人には、阿弥陀さまのお救いのみ光を感じることはできないのですということでしょう。
月の光が強ければ影もまた濃く現れます。
阿弥陀さまの強いみ光に照らされて、心の闇である自我に執着する殻をうちやぶり、心安らかな日暮しをしたいものです。
秋天に輝く月をながめては、心してお念仏を相続したいものです。

山形 稱念寺
井澤隆明

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