今月の法話
平成15年12月
怒りを治める。
人間は生れながらに仏性と煩悩を持ち合せており、煩悩は自発的に活動するが仏性は目覚めて初めて活動し続けると仏教は教える。
今日、煩悩のみで仏性の活動が無い為に起きていると思われる不幸な事件が多発していることはまことに悲しい事である。
根本的な煩悩の一つに「瞋恚(しんに)=怒り」があるが、最近この煩悩を抑える力が欠けている為に「切れやすい人」が増えている。
怒りは物事が自分の希望する通りに進行すれば起らず、自分の思い通りにならない時に生じる。
そこで「自分の思い」が客観的に中立であるかどうかを冷静に観察出来ると、身贔屓であると気付く。
気付くことにより、自分の心の中で起きている怒りが事実誤認によるものであると解り、怒りの炎は鎮り、「切れる」こと無くなる。
自分を客観的に見つめることは、自身が立派であるとの思い上がりに気付き、愚かな人間であると知った人にこそ出来ることである。
何故なら、我身の愚かに気付いた人は、身贔屓をする必要がないからである。
浄土宗を開かれた法然上人は一枚起請文に「一文不知の愚鈍の身になして・・・・・・ただ一向に念仏すべし」と示されている。
この教えによりお念仏をお唱えするうちに仏性が発動し怒りの炎を消していただけることは決定である。
あなたご自身の平安の為に毎日お念仏をお唱えください。
担当幹事