今月の法話
暑い日が続いております。皆様いかがお過ごしでしょうか。
一陣の爽やかな風のようなお話になるとよいのですが。
ある大学の先生が、卒業した生徒さんから手紙をもらったそうです。
それには「先生の靴はいつも奇麗でした。いったい誰が磨くのですか」と書いてありました。
この先生は女性の先生でしかも独身でしたので、ご自分でいつも靴を磨いていました。
ですから、「靴が奇麗でした」という言葉は、まったく思いがけないものだったのです。
ところが、ここからが大切なのですが、この先生はそれからは靴が気になって生徒の前に立つ時、授業を始める時、まず最初に靴が奇麗かどうかを確かめずにおれなくなったのです。
わたしたちの周囲でも、このようなことがあります。
「あの人はいつもやさしい、ほんとうによい人だ」とか、「いつ見ても身だしなみの奇麗な人だ」といわれると、いつもそのようにしよう、しなくてはならないという気持ちになりませんか。
人の期待に応えたい、よい評判を裏切るまいという心がおきてきます。
そのように努力精進することで、益々その人がよくなっていくのです。
何も人の評判を気にしなさい、よく思われさえすればよい、というのではありません。
普段のちょっとした言葉や行いが、やがて人と人との大切な信頼関係をつくることになるのです。
「あんたとっても良い子だよ 」
と子どもを信じて 褒めてあげることが、親にとってまず大切なことです。
「信頼されているんだ」という自覚ができてはじめて、子どもは、もっともっと信頼されたい、よい子になろうという気持ちがおこるのです。
人から信頼されたかったら、まずこちらの方から相手を信頼してあげましょう。
人の長所、美点を見つけられる人は、この暑い夏の一陣の涼風です。
あなたもそういう風になろうではありませんか。
合掌
石川 大蓮寺
高島訓堂