今月の法話
平成22年8月
終末を考える
人間は何時か死ぬ時が訪れることは分かっている。それでも人ごとと思っている。特に若い健康な人なら尚更であろう。
先日、京都に行った時に、姉から従姉妹が入院していると聞かされ一緒にお見舞いに伺った。病気が見つかった時には膵臓癌の程度4で腸閉そくにもなっていて、何も食べることも出来ず、ベッドに起きあがれない状態だった。従姉妹は「何でこんな病気になってしまったのかな」と言っていたが、私はその時、「大丈夫、もう少しの辛抱、元気になって鳥取にまた遊びに来なさい」と手を握って励ましていた。
後で、なんで助からない人に「元気になって遊びにおいで」と言って別れたのが気になった。これじゃいかんと思い次の日に、もう一度病院へ行き手を握って「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏」とかすかな声でお念仏を称えさせていただいた。お念仏が通じたのか、「仏の手や」と言ってくれた。元気になってくれることを念じながら、自分の中で最後の別れを言って病院を後にした。
これから、体中に色々なチューブを通されて、安定すれば他の施設に回されるとのこと。本当にこんな延命医療で良いのだろうか?
「仏の手や」と思ってくれたことが救いである。
お盆には、先立たれたご主人や、ご両親の元で再会を果たされるかもしれません。今度、鳥取に来られる時には、お浄土から元気な姿でこられるでしょう。
自分の終末はどうありたいですか?
合 掌
鳥取 眞教寺
永井廣道