今月の法話
後生の幸せを願う
5月21日の朝は、完璧な金環日食の天体ショーに多くの人々が酔いしれました。
日光が完全に遮られる皆既日食より、太陽・月・地球の距離バランスが限定され稀有な出来事のようです。
私も久し振りに天を仰いで、無限に深く広い宇宙と微小な自分を改めて痛感いたしました。
我々生き物は、思推出来ない生かそうとする大いなる完璧な力により生かされています。
この力を仏教徒は、仏の慈悲と頂戴いたします。しかし生かそうとする慈悲は永遠ではないので、全ての生き物の寿命は尽きるのです。その後はどうなるのでしょうか、放っておいたら迷いの世界を生き死にしてさ迷うのです。
法然上人は九才の時、父上様を亡くされました。
お父上が今わの際に、「早く俗を逃れ、家を出て我が菩薩を弔い、自らが解脱を求めんには(我が子よ、早く出家して、死んだ私が幸せになれる手立てと自分自身も後世に生き死にを繰り返す迷いの世界から脱出し幸せな世界に生れる方策を見つけて実行しておくれ。)」と、ご遺言されました。この父上様のお言葉の実行のために四十三才まで苦悩なされ、終に中国は唐の時代の善導大師の「観経疏」というお書物に巡り合われ、「罪悪生死の衆生を救うことを目的とされている阿弥陀様」を見つけてくださったのです。「南無阿弥陀佛」と声に出してお唱えさえすれば、その人の臨終の時に阿弥陀様自らお迎えに来てくださり幸せの西方浄土に連れ帰り、そこで誕生させてくださるのです。こんな罪深い私にそんな資格はない勿体無いと辞退する必要はないのです。
何故なら阿弥陀様の西方浄土は罪深い人々を救い取る為にお造りになった世界だからです。
法然上人は、大宇宙からすれば人間の叡智など取るに足りないもの、不可思議まるけの中に生かされているご自分に気付かされ、愚鈍の身(人間の能力では知ることの出来ない宇宙の真理に素直に帰依する身心)となって南無阿弥陀佛とお唱えし後世の救済を願いなさいとお教えくださいました。
あなたのご先祖様とご自身の後世の幸せを常に願い、毎日お念仏をお唱えください。
合掌
岐阜 安楽寺
澤玄浄