今月の法話

平成29年8月

お盆に想う

毎年、お盆の時期を迎えますと、今は亡きサダさんというお檀家のおばあちゃんの事が思い出されます。私はサダさんから、僧侶としてのあり方を、ある出来事を通して教えて頂きました。

それは、私が大学四回生の時に、サダさんのお家に棚経のお参りに伺った時の事です。当時、サダさんは七十代後半でありましたが、私の袈裟姿を見るなり、「よう、お寺を継いでくれたな~」と言って、涙を流して喜んでくださいました。そして、私のような二十歳そこそこの若僧に対し、手を合わせて拝んでくださったのです。その光景を目の当たりにして、「私はまだ、手を合わして拝んでもらえるような僧侶ではない」と、とても申し訳ない衝動に駆られました。
なぜなら、当時の私は、二十歳そこそこの若僧で僧侶としての自覚も乏しく、ただ師僧に言われるがままに務めていたに過ぎなかったからです。

しかし、サダさんの合掌の姿を見た時に、いつかは本当の意味で、拝まれる僧侶になろうと心に誓いました。残念ながら、その誓いは、あれから二十年以上経った現在でも、果たされていませんが、阿弥陀様やご先祖様を拝む私たちは、翻って周りの人から拝まれる存在でもあるのです。

拝む人 きっと人から 拝まれる

とあるように、阿弥陀様やご先祖様を拝み、お念仏をお称えする中に、周りの人から拝まれるようなお徳が頂戴できるのでありまして、そのためにも、まずは、私たちが阿弥陀様やご先祖さまを拝み、お念仏をお称えする日暮しを共々に心がけてまいりたいものです。

合掌

滋賀 雲住寺
井野周隆

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