今月の法話
令和元年10月
願いを発する
浄土宗において日常勤行等によく用いられる『発願文』というお経があります。法然上人が師と仰ぐ善導大師の「往生礼讃」に記されているものです。私の好きなお経です。その内容を要約しますと、「この世の命尽きる時が来たなら、阿弥陀様からお迎えをいただいて、極楽浄土に生まれて、そしてそこで自らも仏となって、仏としての偉大なる力でもって、この世で苦しんでいる人々を必ず救い、導きます。」という、願い・誓いを表したものです。
私たち人間は、死んだらそれでもう終わり、ではありません。この世の命終えたならば、我々は極楽浄土を目指さなければいけません。そしてその極楽浄土で仏様となって、今度は仏様の立場として、後に残してきた家族、親族を見守っていくのです。そして、その家族・親族が正しい方向に進んでいけるように導いていくのです。
たとえ、その姿は目に見えなくても、またその声は耳に聞こえなくても、先にこの世を旅立っていかれた方々は、実はこのように大きな役割を担ってくださっており、常に私たちに対して働きかけて下さっているのです。
だからこそ私たちは、亡き人に手を合わせるのです。「どうかこれからも私たちのことを見守っていてくださいね」と。これがご供養です。
そしてまた、私たち自身の事を阿弥陀様にお願いをしていかなければいけません。「もしわが身に万が一のことがあったら、必ず極楽浄土に連れて行って下さいね」と。
亡き人への追善供養、そして阿弥陀様への往生極楽の願い、これらの思いを具体的な態度に表したものが、「南無阿弥陀仏」と口に称えるお念仏です。どうかお念仏と共にいい日々をお過ごしくださいませ。
山形 長源寺
板垣孝寿