会長挨拶

会長 安部隆瑞

 私は在家の家庭にいのちを享け、自らの思いによって出家の生活に入らせていただいて、ほぼ五十年。手土産一つ持たず空手で仏門に入れていただいたことを振り返り、佛縁がいかに深かった我が身であったことを喜ばずにはおれません。

 私の師匠は、実父と同年代にして、血縁なき私を直弟子として、佛道を歩む者として自ら範を示して教導下さったことは、感謝してもし尽くせぬ大恩を思います。

 当時の師籍では、月例行事が四度開催されており、それぞれ月の四日は、ほぼ同じ顔ぶれながら檀家というよりは、信徒方がほぼ満堂で法要と説教の聴聞に衆会しているいい時代でした。今思えば、佛法の花の盛りの時代、師僧が率先して、寺院生活の僧、寺族のあるべき姿を私たちに教導していただいていたのだと思っています。

 その四回の月例法要のうち、お不動様のご縁日を除いて、他の三回は必ず法要と説教があり、その月三回の説教は当時、東海地区中心の高名な布教師様が一年二年の契約で、毎月三師が欠かさず高座説教を実演されておられました。目を瞑る(つぶ)と、その時代の各布教師様の表情や力の籠もった音声が髣髴させるように蘇ってまいります。

 現代は檀信徒を寺に衆会させることの難儀な時代です。しかしそのまま、放っておくことは許されません。どんな僻遠の地にある寺院も、五人十人の檀信徒を集めて月例念佛会と説教を実施することが先鞭の法に違いありません。寺に住まう者の我々自身、原点に立ち返り、念佛教化のために佛恩報謝の念に燃えて、寺を開くべきです。

 布教道は、他の大坊に招請されて、高席の説法をすることだけではありません。先ずは自らの寺で私たち布教師が、直接の檀信徒に念佛教化することが第一義の任であることを忘れてはなりません。必ず自坊で月例法要を開き、その方々にお念佛を教化することが布教師の第一の職務であると考えて、そこに喜びを見出したいと思います。共に汗しましょう。

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