会長法話

勝部 正雄 会長 ほのか12

明治維新前後➀

 世界中の佛教徒で共通している修行があります。それは「三宝礼」です。

 「三宝礼」とは、「私が心を込めて佛さまと、その法(教え)とその僧(集い)に帰依(佛さまを仰ぎ信じて、法を求め、それを誓って生きること)いたします。」と意思表示する貴重な修行です。

 アジア圏の寺院等へ入りますと、ほとんどの人が合掌と(両手を合わせ)三度の礼拝をします。日本では、廃仏毀釈以降、それは希薄となり今に至っています。簡単な礼儀作法ですが行い難く、なおのこと、帰依の心が起こってこないのは当然なありさまです。その中に「僧に帰依し奉る」があり、師を敬い同心の者をも尊び合い、学び合い、その心を我がものとする意味であり、佛教徒としての必修の業であります。江戸文明の中で「無財の七施」を知らずとも、庶民の関わりや自他ともに暮らしている中でお互いが学び合い、実践せずにおれない行儀となり、その実践を通して単なる知識の理解ではない智慧の会得・行為となり、異邦人たちは何と「美しい人」の住む国なのかと驚異されたことでした。

 現代は、情報機器を使途し、その情報により私たちの心が一見満たされているに思えます。

 しかし、同じ情報をみていたとしても、その心に何が宿っているのか、そ+れはどの方向へ向いているのかにより開ける世界は大きく異なります。

 素直に、他の喜びを我が喜びとできたならば、「同発菩提心」のように佛の覚えられた方向へ向かいます。

 けれども強靭な自我の認識であるならば、無佛の世界へと進むこととなります。さらに、今日の私たちが「安心と喜び」に気づく方法は、情報の洪水に流されないことではないでしょうか。それを知ることで、競争心や嫉妬心が生まれるような情報が氾濫し、悩む結果となります。もし、それに流されなかったならば、「今・私に・必要なのか」と問う判断力の一拍が入り、新たな行動へ進めることができるはずです。周囲との関わりが、いかに大きいことか、反省しなければなりません。「三宝礼」に示されてあります「僧に帰依し奉る」は、他の人々の姿・言動・心遣い・意思に導かれることにより、善い私へと進んで行くことを教えています。その関わりにより、それぞれが共に生きる人生が開かれます。

 そのような江戸文明の基盤に亀裂が入ったのは、無佛の理念(唯一自我)である武士道の胎動によったのではないでしょうか。

 ベルグによれば、「上級階級者の本心は佛教と僧侶を軽蔑している。その対象となると、威信を下げると思っていたから」と記しています。

 ハリスは「この国の上層階級のものはみな無神論者であると私は信ずる」と言い、1890年、ドイツの宣教師ムンツィンガーも、「サムライ階級は無神論者と断定し、小市民という大群は今日に至るまで宗教的であった」。

 このような状態は、すでに1810年代頃にゴロービニンは認めた事実でもありました。「欧州と同様に自由思想家がいるが、それ以上に無神論者や懐疑派が大変に多く、一度も神佛へ参ったことがないと言ったり、宗教上の儀式を嘲笑したり、それを自慢にしている人をたくさん知っている」さらに「知識階級が、佛教や神道等の伝統的な信仰とそれを保っている民衆からも切り離れたのは、明治以来の近代化・世俗化の結果だと信じている。」と補足しています。

 11878年、バードは秋田県の師範学校を訪問し、校長・教頭に宗教教育について尋ねたところ「あからさまな軽蔑を示し笑った」「我々には宗教はありません。あなたがたは教養のおありの方々で、宗教はいつわりだとご存じのことでしょう」との応えがありました。これらの傾向は、江戸時代の武士階級はじめ、上流階級者に多くあり、それらの無佛思想は、同じくして強靭な自我・主体性の確立を求める思想として波及し、それに併せて諸外国の帝国主義国家からの動向が大きく影響して、明治時代が構築されたのでした。

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