会長法話

勝部 正雄 前会長 ほのか21

 世間の佛教化④

 『吉野遊行抄』角川書店刊・前登志夫・著の「金色の光の中で」の一節より。

=向こうの杉山の峯で郭公が鳴く。

雨をいっぱい吸いあげた山の樹林に朝の陽は金色にかがやいている。谷川の瀬音はまだ音高く響いている。

『正法眼蔵』の「山水経」の言葉が思い出される。

一通の書簡を頂いた。

鄭重な文面は去る六月、淨土宗の僧、東山龍寛師が六十四歳をもって逝去されたしらせである。龍寛師がわざわざこの山家を訪ねてくださって、話を依頼されたので、おこがましくも去る五月に(出講したことである。)

 お手紙によると、龍寛師は新聞の随想を繰り返し(ほかの19の掲載文)読まれ、わたしの貧しい話の録音を聴いておられたそうである。

 死の数日前に、龍寛師は、生前の信仰生活の精髄を檀信徒の人々への「ことば」を遺されている。

 その中に「群生を荷負して、これを重担となす」につづいて、「すべての人は宿業としてなんらかの重い殻を背負うて生きているのですが、その思い殻のゆえにすくわれているのです。」と一句一句を噛みしめるようにして、念佛の道の有難いことを延べたあと、一首の辞世がしたためられている。

とつおいつまろぴころぴつ草堂をただ守り来ぬ三十とし月 法輪草堂龍寛

 この素朴な辞世は、世に信心の場としての寺院を守っていくことの困難と苦悩がにじみ出ている。ただ一度限りのはかない出会いだったが、その往生の気高さにおいて、龍寛師との出会いは一期一会だったと思う。=

 このような話を見聞きするにつけても、過去に一途に信仰を伝えようと、最後まで念じ続けられた僧侶が、各地に数えきれないほどに居てくださったことを思うのです。

 自らの来し方を手柄にすることもなく、江戸文明やそれ以前からの流れを受けて、人々の幸福のために生命をかけられた僧侶の居られたことを、明治・大正・昭和の時代を振り返り、尊く想い出すことであります。

 併せてその源流たる法然上人の法語に基づいた、僧侶たちが語る自らの信仰と日々の気づきを淡々と伝えられていた言葉の一端を紹介致したいと思います。

○ある人が「上人がお唱えになっているお念佛は、その一声一声が佛のみ心に叶っていることでありましょう。」と申したところ、「それはどう言う意味があるのか」と上人が問われました。「上人は智慧の優れた人ですから、念佛の功徳を詳しく知っておられるでしょうし、本願の意味をはっきりと心得ておられるからです。」と申し上げたときに、上人は「あなたは本願の信ずる心が不十分である。阿弥陀佛の本願としての念佛は、木こり、草刈り、菜つみ、水汲みのように知識も乏しく暮らしも豊かでなく、読み書きのできない者でも、念佛を唱えは必ず極楽往生ができると、本願を信じて真実の心から往生を願い、常に念佛を唱える者を、必ず往生できる最上の人とするのである。聖道門の修行は智慧を究めることによって生死の世界を離れようとするものであり、淨土門の修行は知恵や才覚を加えることなく愚痴のままに、本願力に身をまかせて、極楽に往生するのであると知るべきである」とおっしゃられました。

○心の善し悪しを問わず、罪の軽い重いを取りざたせずに、往生したいと願い、南無阿弥陀佛と唱え、その一声ごとに往生はまちがいないと思い信ずることにより往生は決定するのです

○この世を終えて閻魔の庁につけば善悪の軽重に従い、行き先が決められます。その時「あなたは佛法の説かれていた世に居ながら、なぜ佛縁を受けることなく死後に至ったのか」と問われます。その時、どのように応えられるのでしょうか。そのために、今のうちに佛縁を求め、念佛を唱えなさい。

 江戸時代のこと。全国の各寺院では日常的に密接な関りがあり、本堂の縁側で交わす話題の中に佛法があり、それを耳にされて「心を決定・けつじょう」された人は数えきれないほどあったことでしょう。小さな求める種があれば、いつの日か、いのちに大樹が育ちます。「世間を佛教化」すると構えるところには、自我の茨がある故に樹木は育ちにくいものです。

「有為の世を超えたところで樹木は育つ」と老僧の声が聞こえます。

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