会長法話

安部 隆瑞 会長 

春の夜の夢

 寒中お見舞い申し上げます。寒さが身に滲みる毎日です。「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばす」今にありがたいこのお言葉を噛み締めるこの頃です。

 昨日、兵庫県の布教師様仲間のお母さんが御往生されて、そのご葬儀にお焼香をさせていただいてまいりました。大寒のさ中にあっても比較的温暖な数日が続き、お棺の中に瞑目されておられるほとけさまのおだやかなお人柄を偲ぶに相応しい一日でした。

 夫君の御住職時代、寺庭婦人のお役目を十二分に果たされ、現住職はじめ子ども達の教導や寺族の世話に、その御生涯のほとんどを捧げ尽くしたお母様に相応しい、ありがたいあたかな御葬儀でありました。

 式終了にあたり、現住職、そして息子様として下座から、会葬御礼のご挨拶がございました。そのお言葉は、まことに簡潔明瞭にして会葬者一同の心によく届きました。

 そのご挨拶の中で、法然上人の御法語をお説きくださいました。

  今の別れは暫くの悲しみ、春の夜の夢のごとし。(『法然上人のお言葉』後篇第二十九 一蓮托生)

いつの世もいつか訪れる死別は、この世の誰ひとり逃れるすべのない約束事であるのです。親子共々にこの世でいついつまでも日暮らし出来ることは、私たちの願いでありますが、そうはいかないのが、この世の会者定離であるのです。住職様はお母様の今日までのお育ての御恩を、ありがたく感謝を述べながらも、悲しみの深き心をお浄土での再会に繋げてゆかれました。

 所詮この世の残る年月は三十年、五十年。法然上人のお言葉通り、この世の人生はわずかな年月を残すのみ。春の世に夢が短く、ほんのひとときで覚めるように、私たちのこの世の年月もわずかな年月しかないという、ご法語を示されて、お念仏の縁に結ばれた私と母であるから、必ず「浄土の再会」が待っていると示されました。住職様が残るこの世を全うするまでの年月の悲しみを、「お念仏」で過ごし、必ずや安楽の浄土で親子の再会を楽しみにするとのお言葉で、ご挨拶を締められたのでした。会葬者一同にもお念仏をお勧めくださいました。私たち会葬者一同が、お念仏申さずにはおれない心を頂戴させていただいたことでした。

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