会長法話

勝部 正雄 前会長 ほのか19

世間の佛教化②

 崖の上に ほんのしばらく繭の如く すまわせてもらうと 四方を拝めり

                             詠・前 登志夫

 作家の家は吉野連山が望める崖の上にありました。一体、いつまで生かされて往くのか。無限の中にある、有限の生命を静かに見つめられたのでしょう。ほんのしばらくにしか暮らせない我がいのち、まるで蚕の繭のように、極細の糸に包まれているように護られながら、棲まわせてもらうと、四方を拝むより他に応えようがありません。

 雨降れば流されて、風吹けば飛ばされる我であるゆえに・・・

 前先生は生涯、山人として生き、執筆された文豪の師であられました。

 ある日のこと、麓の寺院で「暮らしの中の淨土」と題して師の講演が開かれました。会場となった≪御寺までの足が重く、積み深いわたしに何が語られようか、語るべきでない・・・と、脂汗がにじんできた。

 本堂には、お香の煙が流れ、さわやかな読経と、法然上人のことばが高らかにみんなで朗読され、対岸のまぶしい若葉の森から、河を越えて、開け放たれた内陣に青嵐が吹きこんできた。

 わたしは直感した。ここには宗教が生きて在ると-。それを言葉にするのは簡単ではない。「清淨なものへの情熱」とでも言おうか。

 日本の田舎のどこにでもある寺院にすぎないが、本堂に満ちているみずみずしい知性と、澄み、輝く数十の瞳-吉野佛教青年会。

 はるかなもの。永遠なものに対する感受性なくして、生きた宗教心の芽生える素地はありえない。生きた宗教は伽藍や組織ではなく、やはり人なのだ。わたしを招いた東山龍寛師、この人の個性による影響がぴーんと感じられた。

 わたしの話は雑音にすぎなかったが淨福にみたされて、「お念佛申しや」と、いつもわたしにささやいた母の声が、青嵐の中からきこえた。≫

『吉野遊行抄』角川書店刊より抜粋

 このような集まりが、今も昔も日本のどこの地域にでもあったのでした。

 併せて、佛道を歩まれたご生涯で、名も無く謙虚に一隅を照らされた僧侶も数多く居てくださっていました。

乏しい草の庵に住み、『光り輝く僧が佛法に順じて静かに生きてあり』

 その姿が人々に与えた影響は、記録されることもなく、そこに住む人々に無言のまま佛と法が伝わり、ことばを超えて人々にさわやかな生き方を与え、清らかに生きる術に気づかせ・他の喜びを我が喜びとする、真の生きる利他の姿となっていたのです。

 そのようにして「江戸文明」が形成され、静かにその流れが伝えられてきたのです。それは、ある地域だけでなく、全国各地に等しく波及し、おおらかな淨福に満たされた生命圏となり、相互に承認し照らし会いながら生きてきたのです。

 江戸時代に訪日した異邦人が不思議に思われた一つに、「人はすべて四苦八苦の人生であるにもかかわらず、それに囚われることなく、なぜ明るく、おおらかに、幸福な日々を生きることができたのか。それは、なぜなのか」であったと思います。

 その問いは、異邦人だけでなく、今日の科学文明が成し終えた私たちの暮らしにおいても同じことです。それは、なぜ、だったのでしょうか。

 煩い悩みなく、幸福な人生を送りたいと人々は願っています。その願いを見通され、それに応じてくださっているのが「十方法界常住の佛」です。

 十方とは至るとことに、法界とは(空間的に)遍く行き渡っている、常住とは(時間的に)過去・現在・未来に渡り永遠に変わることなく、世界中、煩悩の衆生の存在するところに佛まします。と示されています。

 それらの諸佛の中で「阿弥陀佛」は無量の光明と寿命をもって「あますところなく心・生命の病みを照らして止まぬ佛」なのです。どのような人であっても念佛さえ称えると、光明の中におさめとられている自己を見出すことができるのです。また永遠の寿命の佛ゆえに、限りなき生命の世界へ導き救いとろうとしておられるのです。私たちは有限の生命であるゆえに無限なる生命を求め願っています。この願いをみそならして永遠の寿命に生きる身に阿弥陀佛はしてくださるのです。

 この真実に順じて日々を送っていた僧侶に出会った素朴な村人たちは、おおいに感化され、日々の念佛精進の人となられたのでした。

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