会長法話

勝部 正雄 前会長 ほのか20

世間の佛教化③

 「江戸文明」の基盤であった感性の第一は素直さであり、第二にはより善く生きて往きたいという向上心の人々(更生)でありました。

 その心が熟成されたのは、その前提として相互に知り合い・十分に承認し合っていたからでした。その相互扶助が第三の要因と言えます。よって、周囲の人々との深い関わりにおいて、私の存在があったのでした。それらが相互に交差する過程で、向上心が日々の働きとして育まれていたのです。

 正に、「往生安楽国」の偈文に通じる世と言えます。安はやすらかであり、落ち着きです。楽は、向上して往く喜びであり、利他の喜びだったのでした。(今日のような個人情報保護という建て前により、現象した自他断絶の世ではありませんでした。その断絶により、この世では人の世の潤いが枯渇し、さながら砂漠化現象と成り果てているのです。)

 さらに、第四の要因として、永遠の時の流れにある一時の「有限的存在が我が生命である」を認識していたことでした。今日に生かされている事実には、眼にすることのできない「過去の生命」があったことを承知していたことでした。法然上人のお言葉に「私の過去する声明はどのような迷いの世を過ごしていたのでしょうか。そのさまよいにより、釈尊の出現に会うこともなく、迷妄の境涯を巡り、どのような生き物であったのか、佛の説法も聞けなかったのでした。舎衛国にいた九億の者の中で、三億の人は釈尊の名も知らなかったと言われています。私もその中に住んでいたのであろうか。」とあり、過去を振り返っておられます。

 「にもかかわらず、この度、佛法が流布している世に生まれることができたのは、大きな喜びであります。そのような私たちの誕生は、大海原で遊泳している亀が浮木の穴に頭を入れるほどの確立で極めて稀なことです。」それに続いて、」「ここにわれらはいかなる前世の善因によってか、いかなる善行の報いがあったのか、佛法流布の世に生まれ迷いの世界を抜け出す教えを聞くことができたことは、何と幸運なことでしょうか。この限りある日々をむなしく過ごしてはなりません。」と説かれています。

 そして第五に「南無阿弥陀佛の行により個々の生命が佛に支えられた業(生き方)と成ったことでした。」

 それは「いかでか悪業煩悩のきずなをたたんや。悪業煩悩のきずなをたたずば、なんぞ生死繫縛の身を解脱することをえんや。」と。

 どうして善くない生き方(悪業)や煩いや悩み(煩悩)の絆を断ち切ることができるのでしょうか。

 悪業や煩悩の絆を断ち切ることができなければ、どうして生死や煩悩に縛られたこの身を解脱する事ができるのでしょうか。

 これが法然上人、廿代半ばの大きな課題であり、併せて淨土宗開宗の起点となったのでした。その後、十五年余りのご修行の結果、上人は善導大師の一文を見出されたのです。

 「一心に専ら南無阿弥陀佛と唱え、日常のいずれの時でも、時の長短に関わりなく、常に念佛を相続してゆく生き方が、正しい生き方と名づける。それは阿弥陀佛の本願に叶っているからである。」を拝受されたのちは、我らのごとく愚かな者は、ひたすらこの文を仰ぎ、この道理を頼みとして、一瞬一瞬に離れることなく念佛を相続して生きて往くことを決定されたのです」と、了解されそれを説かれました。

 江戸時代の僧侶たちは、これを日々に実践され、その姿でもって自ら佛道精進とされたのでした。

 その「正定業」の実践が、寺院建立・僧侶の育成・晋山・生命共同岱としての檀家の結束へと波及し、「江戸文明」の暮らしが整い、のどかな人々の生き方が生まれたのでした。

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