会長法話

勝部 正雄 前会長 ほのか8

江戸文明②

1889年に来日した英国の詩人アーノルドが、その歓迎式典の挨拶で、江戸文明をしのびつつ「地上で天国・極楽に最も近づいている国」と称賛し「その景色は妖精のように優美で、その美術は絶妙であり、その神のようにやさしい性質はさらに美しく、その魅力的な態度、その礼儀正しさは謙虚で精巧であるが飾ることはない。これこそ神勢を生甲斐あらしめることにおいて、あらゆる他国より一段と高い地位に置くものである」と述べたのに対して、当時の新聞各社は明治性自他軍事増強や富国強兵に触れず、日本への侮蔑であり軽視であると憤激したのでした。

 このように、異邦人に絶賛された江戸時代に生きた人々の姿は、明治維新以降の日本において「扼殺(押さえつけて殺し)と葬送の上で始まったことは銘記されるべきである」と鋭く自覚したのは、むしろ同時代の異邦人たちでしたが、日本にとってそれは取るに足らない屈辱の言葉でした。

 これにより、「江戸文明」として異邦人に賞賛された人々の幸福に恵まれていた「生命有機体」は、無残に消滅していったのでした。

 その「文明」は庶民の生きる姿であり、純粋にして素直な生き方でした。

 その内容は〈無財の七施、せずにおれない善行、快活な和顔愛語、見返りを求めない誠実・勤勉・精進・落ち着いた暮らし・苦心と工夫、相互に知り合い許しのあえる生き甲斐〉等でしたが、それらは「蛮勇でもって清算され、葬られた」のでした。

 その「江戸文明と呼ばれていた生命有機体」の基盤には、一体どのような心があったのでしょうか。

 まず、「生きる」とは「死と向き合っている人生」であったことです。

 死を見つめることは「生きる」ことへの助けとなります。そして当時であれば「出産に死を迎える母」もあり、「お母さんに苦労をかけて生まれさせてもらった」と、誕生を見つめていたことでもあったでしょう。

 そして、「育てられ」「生かされてきた」のです。しかし、生まれた原理も・生かされた原理も・育てられてきた原理も・すべてが受け身です。それらはなぜなのか?知識では分かりません。その育成されゆく大前提に、お天道様や自然があり、水や空気があり、すべて創られている者の恩恵を知り、報謝としての生き方があったことでしょう。

 そして数えることのできない「大いなる恩恵」により生かされてきたことを感じ得ていたのでした。

 それは生きていることが、「当たり前ではなかった」からです。

 それだけに、「生かして頂いているという意識」と「有難いという意識」が率直に現れていたのでした。

 さらに、今・ここで・私が生かされているのは、なぜなのか。

 生かされている生命の前の世は何であったのか。

生かされている生命の前の世は何であったのか。

その答えは、釈尊の大悟であり、佛教に示されてます。「三宝帰依の実践」こそが、すべての人の実在の謎に応え得る行法なのです。

江戸時代とは、「他力の導きと、それへの報恩と報謝」の(言葉や論理を知らずとも)暮らしが「明朗に律儀に和合」して成り立っていた世でした。

その日々の暮らしの中で重視されたのは、相互に知り合い承認しあうことでした。

明るい笑顔・正しく仲良く・かつ心づかい気配りがあり、せずにはおれない善行等が生き生きと実践された世はまさに「六波羅蜜」の具現化であり、それは素直にして純粋、実に落ち着いた人情が満ち満ちていた暮らしであったのでした。

さて今日、目覚ましい発展を遂げた現代。「生存の謎」はわかっているのでしょうか。

それにより、生きる満足感を感得しているでしょうか。報恩といえる生き方があるでしょうか。

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