会長法話
近代文明社会②
静かに明治から昭和20年の77年間を見つめたならば、直感的に無意識・無批判に容認してきた前提があります。「発心正しからざれば、万行空しく施す」という古語があるように、最初の基本理念が正しくなかったならば、幸福な世へは推移しないものです。
振り返り、江戸文明の「発心」を言うならば元和偃武でした。1615年大坂夏の陣を終えた徳川家康は、多くの武士の死を痛み平和な世になるように祈り、元号の設定に中国の古語「元和偃武」を用い、「平和の元は武器を偃せる」ことであると、江戸幕府の理念とされたのでした。
また、「厭離穢土・欣求淨土」は、家康の戦陣への旗印であり、佛教の基本の一句です。現実の私たちは欲望のために穢れた者であり、厭うべき世である。よって、清浄な佛の国を求め、併せてそこへ生まれ往く道を歩みたいと願われた一文でした。この偈文は、源信僧都の『往生要集』の冒頭の偈で、家康は淨土宗の教えを人生の根幹とされた武将でした。
それに比して、明治政府の「富国強兵・殖産興業・軍国主義の臣民教育」等の政策に、国民はじめ東アジア諸国の人々が、平等に幸福に暮らせる理念が一分でもあったでしょうか。
また、本年の事、自衛隊設立70周年の式典と大がかりな合同訓練が6月に行われ、衛る自衛隊が戦える自衛隊に一歩進ませたことでした。参加部隊の日米合同動員人数は14,000人による戦闘を想定しての訓練でした。
その歩みが世界平和への一歩なのか・戦闘への前兆なのか。その状況下で、防衛大臣が明治軍国主義の精神の中核施設、靖国神社へ8月に参拝しています。この事態に国民の判断が必要ではないでしょうかと思った矢先、総理は「もはや、そう思う時期はすでに去っている」との見解を出されました。
このように、眼前の現実対応や短絡的・即物的な動向が優先している政策は、明治以来の百余年の間に、江戸文明の基盤であった「前世・今世・来世」へと生き方が敬称されて往く佛法が失われたことです。
その喪失した第一の佛法が、「三時の業報」です。行とは「心の置きどころとその行為」を言い、それが自分にも相手にも結果として影響を与えます。
その業の報いの結果が、現世に現れてくるのを順現報受。時が経過し次の世に結果が現れてくるのを順後次受と説かれています。すべての存在は一分の狂いなく「三時の業報」により結果が現象してくるのです。
当時の人は、「私の未来である後生が怖い」誉日々に心得ていました。
よって、業の流れ往く法を知り、今の世のみに生きることは考えられなかったことです。当然、後生(来世)を心に秘め、今に生きることの大切さを知っていたのでした。さらに、環境・家族・習慣のように意識しないで蓄積されている業を「宿業」と言い、原因と異なった結果となる業を「異熟業」と言います。それらの業の中で、自分が行った悪業の報は、一切ごまかしようがなく自己へ返ってきます。
しかし、阿弥陀佛の本願による念佛を唱えたならば、自己の悪業に気づかされ心の痛みを実感し、自己の愚かさを自覚し、そして謙虚に真の自己に立ち返り、称える念佛に抱かれて、自分の意思や都合を突き破る佛心からの救いを受けて(一切我今皆懴悔)懴悔することができるのです。
それにより、諸縁が整い、重きを軽んじて軽く受け、罪が滅し、清浄な私となれるのです。このような「三時の業報」と「佛に抱かれた懴悔」により、江戸文明の人は、更生される理に生きていたのです。このように、すべては過去につづく今日に生き、今日に続く明日へと生き往くこと。「少罪をも犯さじと思うべし」と努め、この方を忘れなかったのでした。
喪失した佛法の二つめが「三宝帰依」です。三宝帰依とは、≪すべての法を悟られた「佛陀」と、すべての者が生かされている「法」と、その法により共に生かされている共同体・「僧」の三つ(自己の存在原理)を、尊び敬うことです。それを起点として日々に生きて往くこと≫を「三宝帰依」と言います。このことは私が生かされている基盤そのものであり、「帰依三宝」は佛教の基本であり、最も大切に伝えれられてきた教えです。それは、私たちの知恵をはるかに超えた佛智であるがゆえに、現実の自己が真実の自己へ生かされて往く教えなのです。
しかし、明治以降、佛教は外国の宗教であり、「国家は教える神道」を教育の基本としたのでした。よって、人間の知恵が最高であると認識するに至りました。その傲慢な自我が、世界中の佛教徒が共通して持っている「三宝帰依」の法を排斥し、その結果、わが国は「無宗教の自我」が常識である国家となり、宗教のなき家庭、宗教のなき自我判断の我となり、その順後次受の今を生きているのです。