今月の法話
残ったものは、お念仏
「らくらくスマホって、なんて使いにくいんですか?!」と、あるお檀家さんに助けを求められました。「便利だから」と娘さんに持たせてもらった携帯電話。しかし、使いこなせずメールは見れない、電話も取れないで寂しい気分になっていたそうです。
手軽で便利、生活が楽になる機器が溢れて来ると、必要なかった事にまで悩まされる様になり、逆に不便になっているのじゃないか?と私は疑問を持ってしまいます。ある友人は、「まつ毛を抜いてしまったら『顔認証』が出来ず大変な目にあった」と笑って話してくれました。
法然上人は、「生活の中で、念仏をお唱えする助けとならない事であるならば『今生のために身を貪求するは、三悪道の業となる』」とお示しくださいました。この世を楽しむために我が身を愛することは、苦しみの世界に落ちてしまう原因になりますよ、と目の前の利便を追いかけている私たちのことを見透かしていらっしゃる様です。そして「死後、極楽浄土に往生するために、日々努力すること、つまりお念仏をお唱えできる生活を整えることが大切である」と奨めてくださっています。
目先の「幸せ」を求めても生老病死の苦しみは決して逃れらせません。死後の極楽往生の〈幸せ〉を見つめて、目先の行動を考え直すべきです。
冒頭の言葉をおっしゃったお檀家さんが、軽傷だったものの脳梗塞を患い入院されました。退院後、お参りされても以前は一緒にスラスラとお唱えでいていたお経は、目で追うのがやっとの状態になってしまいました。しかし、それでも生きながらえた感謝と共にこうおっしゃっていました。
もう、お念仏しか残っていませんわ。お念仏だけはお唱えできます。
老いと病の縁を得られ、死を覚悟された時、ご主人と姑さんの待つ極楽へ往生するため、お念仏をお唱えすることが日々の勤めになったのです。
福井 善導寺
大門哲爾

