会長法話

有本 亮啓 前会長 第2話

人間は「生きて来たようにしか死ねない」と私は思っています。
  嘘でかためた人生で、平気で他人に迷惑を掛け、「世の中、綺麗事で生きてゆけるか、人間生きている内が花、少々あぶない橋を渡っても、上手に生きた者が勝ち、どうせ死んだらおしまいじゃ」という生きざまのお方は、まさしく「死んだらおしまい」の死に方しか出来ず、人々から疎まれて死んでゆくことでしょう。
  たとい不遇な人生であろうとも、正直に、真面目に、精一杯わが人生を歩み、感謝と反省の日々を過ごし、少しでも社会や人々のお役に立とうと努力し、み仏さまを信じ、ご先祖を大切にし、極楽往生を願って日々お念仏の中に生涯を送った人は、最後臨終には、必ずや阿弥陀さまが来迎下さり、極楽へ往生させて頂けるのです。  私の父は平凡な一僧侶でありましたが、当然のこと乍ら、平常にお念仏をよく申された人で、不器用でしたが、曲がった事が大嫌い正直な裏表のない人でした。父は平成4年4月16日に81歳で往生させて戴きました。
  父が往生します前夜、ベッドに横たわり乍ら、意識が薄らぐ中、父は何度もゝ前方を指さす仕草をしておりました。お医者さんや看護師さんは「いよゝ幻覚症状や」と云われておったそうですが、私はハタと感ずるものがあり、父の耳元で申しました「お父さん、阿弥陀さまがお迎えに来て下さったのですか・・・」すると父は、小さくうなずいたように私には思えました。私は父の耳元で、思わずお念仏をお称えしましたら、父も口の中で、「ナム、ナム」と称えて下さったようです。そして翌早朝、父はニッコリ笑って見事に大往生を遂げて下さったのです。  

  阿弥陀さまを信じ、極楽往生を願って、お念仏の中、まことの心にて人生を生きぬいた人は必ずや阿弥陀さまに抱かれて大往生させて頂くのです。 

  南無阿弥陀仏

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