会長法話
人間とは何かとの問いかけに対して、ある哲学者は「人間とは生きがいを感じるものである」と答えています。
では、生きがいとは何か、「生きがいとは自分を必要としている人がいることである」いい言葉ですね、生きがいとは、この自分が家族に、地域の人に、社会の人々に必要とされているのだと自覚し、家族の為、地域、社会の為に精一杯おのが務めを果たせる喜びをいうのでしょう。こんな自分でも誰かに必要とされているのだと自覚、喜びが、生きがいとなり、その生きがいを持って、私たちは働き、生活してゆくのです。
処が、このような話を私はある時に老人ホームでさせて頂きました。すると、お年寄たちは私に冷たい視線を投げかけ、「では私たちは誰にも必要とされていないから、生きる甲斐はないのですか?」と目で訴えられたのです。
そこで私は申しました。「皆さん、人間は何時までも若くて、現役ではおれません。若くて、健康で、バリバリ仕事をしている時は、まわりに必要とされているでしょうが、やがて年老い、時に寝たきり、又いろいろな災難に会い、家族を失い、一人ぼっちに成るかも知れません。そんな時、人間は生きがいを失うのでしょうか、誰も必要としてくれないのでしょうか、違う、たとえ寝たきりに成ろうと、一人ぼっちに成ろうと、すべての人に見放されようと、絶対に見放しなさらぬお方が一人だけおられる。それが阿弥陀さまなのです。阿弥陀親さまは、どんな境遇の者も決して見放しなさらぬ。
『お前を守るぞ、お前を導くぞ、お前の側(そば)におるぞ、お前が必要だから生かしているのだ、必要と成ったら極楽へ救うてやる。だから、わが名を呼んでくれ、お念仏申してくれ、いつも一緒だぞ、必ず救うぞ、約束する』と声なき声で私たちに呼びかけておられるのです」と…。
皆さん、私たちは如何なる境遇に成ろうとお念仏をお称えすれば、必ず阿弥陀親さまが、この私を守り、導き、そして極楽へお救い下さるのです。共々に阿弥陀さまを生きがいとし、お念仏を申しましょう。
合掌