会長法話
浄土宗日常勤行のおはなし 四、懺悔偈
我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴
従身語意之所生 一切我今皆懺悔
「私が今だけでなく遠い昔から造ってきた悪い行為はすべて何時はじまったとも知れない昔からの貪欲(よくばり)と瞋恚(はらたて)と愚痴(ものの道理を分からない愚かさ)によるもので、身(からだ)と語(ことば)と意(こころ)より生じたものです。その一切を含み仏の前に告白し悔い改めます。」
皆さん、罪には法律的、道徳的、宗教的の三通りがあります。身体で行わず、言葉に
出さず、ただ心に思うだけなら、法律的、道徳的の罪とはなりません。しかし外(身体と言葉)に現われた罪は実は心に思えばこそ現われるので、すべての罪の根元は心であるとして、心に思う罪を最も重く見るのが宗教の立場で、これを宗教的罪と申します。
罪とは包み隠すことと言われますが、私たちは、親子夫婦の間でもあからさまに言えず包み隠すことがあります。今、信仰に目覚めて、すべてをお見通しのみ仏さまの前に出ますと、あまりにも罪深い我が身が恥じられてきます。あたかも全然ほこりのないと思われる薄暗い部屋の中でも、一筋の光が差し込むと、おびただしい塵ほこりが目に見えるようなものです。そこで心から懺悔し、罪を悔い改めるのです。
懺悔には身の毛孔から血を流し、眼からも血を出す上品(じょうぼん)、全身の熱汗が毛孔から出て、眼から血を出す中品(ちゅうぼん)、全身に熱をおび眼から涙を流す下品(げほん)の三通りがあります。(往生礼賛)
あるいは地面にひれ伏して毛孔から血が流れるのを上品の懺悔、歎き悲しんで雨のごとく涙を流して泣くのを中品、犯した罪を師の前に告白するのを下品の懺悔としています。(授菩薩戒儀要解) 浄土宗では、「念々称名常懺悔」と言って、常にお念仏を申すことにより懺悔が全うされます。サンゲの最上の方法は常にお念仏を称えることです。
合掌