会長法話
浄土宗日常勤行のおはなし 五、十念
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
十念とはお念仏を十遍称えることです。称え方はナムアミダブ、ナムアミダブ、……と八遍(四遍づつ二回に区切って良い)で一区切りしてナムアミダブツと九遍目だけ、ツを入れて、十遍目はナームアミダブと結びます。
観無量寿経の中に此の世に於いて悪いことばかりした者でも最後臨終の時に善知識(信仰上の師)の導きにより苦しい息の中からお念仏を十遍称えたら、阿弥陀仏のみ光を受け、
一切の罪が許されて、極楽へお救い頂けると説かれてあるのにより十遍を称えるのです。
浄土宗には尋常・別時・臨終の三種行儀の念仏というのがあります。尋常とは普段いつでも、どこでも思いのままに、とらわれなく称えるお念仏。別時とは特別に時と場所を定め身も心も整えて称えるお念仏。そして臨終とは最後臨終の時、お仏壇の前に床をとり、お仏壇にお香をたき、お灯明をともし、出来れば菩提寺のご住職をお招きし、お十念を授けて頂くのです。ご住職が間にあわなければ、家族に助けられて自らお念仏をお称えして極楽浄土へ往生させて頂くのです。ところが最近は自宅では滅多に死なせて頂けない状態です。九割以上の方々が病院で臨終を迎えることになります。病院では他の病人に気がねして本人も家族の者もお念仏一ツ称えさせて頂けない状態です。
だから平常(尋常)のお念仏が大切なのです。いつ訪れるか知れない一度は必ずやってくる死を恐れないためにもお念仏を毎日続けることが大切です。平素のお念仏によっていつでも阿弥陀仏さまが、自分とご一緒に下さるのです。(同行二人)そしてお守り、お育て、お導き下さるのです。南無とは発願・帰命の意であり、発願とは願いおこす、「どうぞお願いします」帰命とは命にかけて帰依(ピッタリ寄り添う)、すなわち「お任せします」との意味です。だから南無阿弥陀仏とは「アミダさまどうぞお願いします。お任せします」という意味なのです。
阿弥陀仏とは私たちの大み親さま、いのちの親さまです。親には親心があり、わが子が池に溺れ、「お父ちゃん、お母ちゃん」と助けを呼んだら、親は池へ飛び込んで命を捨ててもわが子を救う。阿弥陀さまは大み親さまですから、私たちがこの煩悩の池(この世)から南無阿弥陀仏とみ名を称えたら、必ず極楽浄土へとお救い下さるのです。間違いないことです。どうぞ常々から十遍のお念仏を繰り返しお称えして、いつ臨終が訪れても必ず阿弥陀仏さまのお迎へ、お救いを頂きましょう。
合掌