会長法話

有本 亮啓 前会長 第20話

浄土宗日常勤行のおはなし  十二、三尊礼④

南無至心帰命礼 西方阿弥陀仏
 哀愍覆護我 令法種増長 此世及後生 願仏常摂受願共諸衆生 往生安楽国
 

④「帰依し、身も心もささげて、西方浄土の阿弥陀さまを拝みたてまつります。 み仏は  私たち衆生を憐れみ、お護り下さり、悟りの種が増すようにお導き下さって、そして、 この世も後の世も常にお救い下さるのです。
 願わくは、多くの方々と共々に阿弥陀さまの極楽浄土に往生出来ますように」
 往生とは死ぬことではありません。往き生まれることです。世間では往生を悪い意味に使っており、「車が混んで往生した」「眠むくて往生しました」「あの婆さん遂に往生しはった」等々日常語に成っていますが、困ったことです。
 漢字は素直に読まねばなりません。往生と云う字に困ったとか難儀した、又は死ぬという意味は全くありません。あくまで往き生れるとの意であります。そこで、生れるですから、私は更に広げて解釈し、誕生と申し上げたいのです。よって、人間には三ツの誕生がなければならないのです。
 まず第一の誕生とは、云うまでもなく、この世にオギャーと生まれてくることです。しかしただ肉体が誕生しただけでは、人間と生まれた値打ちはありません。人間ならば第二の誕生、第三の誕生をしなければなりません。
 第二の誕生とは、自分は愚かもので、罪ぶかく、至らぬものであると自覚し、そんな自分が親のお蔭、すべての生きとし生けるもののお蔭、み仏さまのお蔭で、許され、生かされ、生きている、なんと有り難いことかと素直に喜ばして頂く、さすれば自ずから南無阿弥陀仏とお念仏が申せる。素直にお念仏が申せる人となることが、第二の誕生です。
 されば第三の誕生間違いなし。第三の誕生とは、お念仏を称え、阿弥陀さまのお救いを頂いて極楽往生させて頂くことです。

  合掌

バックナンバーを見る