会長法話

勝部 正雄 前会長 第2話

短絡的な対応でなく、理念・真理に基づいた人生と世の構築へ

 父・時国が定朗の夜襲を受けて非業の死に至られたことは、子の勢至丸にとって言葉に表せない悲嘆であったと想像いたします。  時代は平安末期の保延七年(1171)の春、武力がものを言う時代へと向かう頃。当然ながら仇討ちの心情も起こり、「定朗庭に在りて、矢をはげて立てりければ、(勢至は)小矢を持ちてこれを射る」と。
 矢は定朗の眉間に突き刺さったと記されています。争いの現実を目にしたならば、誰もが反射的に見さかいなく襲撃に出るのは人間そのものの業と言えるでしょう。

 にもかかわらず、時国の遺言に秘められている「慈しみの心」は、人として通常の言動ではありません。もし仮に、定朗が犯した罪の深い懺悔でもあり、その上で怨みを許す智恵が芽生えたというのならば、わずかなりとも分るのですが、それもない不意打ちの状況下で「会稽の恥じを思い敵人を恨むることなかれ」とは。日ごろから真理を感じておられた時国のみいのち、そのものであると仰ぐばかりです。

 それに致しましても「会稽の恥」の固辞は、紀元前五百年前の中国の言葉であり、「遺恨も結ばば、その仇世々に尽き難かるべし」は、釈尊のお説きになられた『法句経』の一句と通じておられ、双方ともにその当時から千年以上前の真理の一語が、美作の一押領使の心に留められていたとは実に不思議を感じます。
 正に「真理の魂は一分の違いもなく時空をはるかに超えて、それに応じられた生命に留まる」ということを知らされた次第です。
 九歳のわが子を残し臨終を迎えられたその無念さを超え、更には勢至丸の安泰な行く先を願い、見通されてのご遺言であったと拝読いたします。
 いかに深い意味を秘めた言葉でしょうか。父・時国様、ご生涯のみいのちを賭けられた言葉ではないでしょうか。

 時国にあっては、「今日の我がいのちは、今生の因縁だけでなく前世の深い深い因縁が結集しての出来事である。よって、仇を撃ってはならぬ。仇を撃ったならば敵は再び怨みを持ち…呪いは世々に尽きることがない。怨みは怨みを消してこそ止む。この現実への対応に留まることなく、悲嘆への執着から身も心も潔く離れ、その争いの暗黒の世に光を与える道を求めよ。その求道こそ、我が菩提を弔う道であり、併せて勢至丸の出離の道でもある」と、お諭しになられたのでした。
 現実に囚われている限り、そこには短絡的な対応が生まれ、ますます煩い悩みが深まる迷路に入るばかりです。

 それに引き換え、「超世の願い」である理念・真理を求道する上での謙虚な実践は、理念・真理に基づいた人生と世を構築し、和やかな善き世界が開かれることです。
 現代社会は、この理法に学ぶべきではないでしょうか。
 実利ばかりを追い求める限り、すべては短絡的な対応に終始している現状に流されています。
 どうか「慈しみの心」を起こして見直すべきではないでしょうか。
 この岐路に立たされた勢至丸は、父の示唆に応じて佛智の道を率直一途に求められたのでした。

合掌

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