会長法話

久米 慶勝 前会長 第4話

浄顛倒の教え

今回は、四顛倒の教えの四番目で、浄顛倒の教えのお話を致します。
この四番目の浄は清らかと言う意味の浄です。
私は清らかと思うのは顛倒で、思い違いですよと言う事です。
さらに言うと我々はきたない、よごれていると言うのが、正しい見方であると言うことです。
此の世に居る人間は、皆きたないと言うのが正し い見方であると、お釈迦様は『涅槃経』に説いておられるのです。
まず顔から見てみましょう。
顔には七つの穴が開いています。
目が二つ、鼻に二つ、耳に二 つ、そして口に一つで合計七つの穴です。
その七つの穴は、皆中につながっています。
その中につながっている七つの穴という穴からは、本当にビロウな話ですいませんがクソが出るのです。
「目は目くそ、鼻は鼻くそ、耳、耳クソで、口は歯クソで下は言うまでもなし」です。
ですから穴という穴から皆クソが出ると言 うことはこの身体はクソ袋であると言うことです。
さらにその奥の心を見るともっとひどいものです。
皆さんご存知のお経の中に説かれています。
「我昔所造諸 悪業」我むかし造るところの諸ろの悪業は。
「皆由無始貧瞋痴」皆由るなり、はじめがない大昔からの貧瞋痴が理由で悪い所業をやってしまった。
その貧瞋痴と は三毒煩悩と言われて猛毒の煩悩です、また根本煩悩とも言われて、これを詳しくすると百八の煩悩になります。
しかもこの煩悩は始めが無い程の大昔から我々の心の中に巣食っている煩悩です。
まず貧の煩悩とは、音で読むと、トンですが、訓読みすると、ムサボルです。
そこで、この貧は「もっともっと」と、むさぼ る欲深か煩悩を言うのです。
次の瞋は、目偏にマコトと書きますが、これは、目で真を見ると言う漢字で、目で真を見ようと、大きな目を開けて見ると、見なくても良い所まで見てしまうので、腹が立つのです。
そこで、この瞋の煩悩は、腹立ち煩悩をいうのです。
三つめの痴は、ヤマイダレに、知恵の知を書きますから、知恵が病になった状態を表す漢字です。
ですから愚痴の煩悩で、物分かりの悪い煩悩を言うのです。
この三毒煩悩は本当に恐ろしいものです。
此の煩悩に振 り回されて人生を失敗した人は数え切れません。
連日の新聞紙面を賑わしている記事の原因は皆この三毒煩悩によるものです。
でもこれはひと事ではありません。
あなたの心の中にも間違いなくひそんでいます。
だから正しい信仰心でこの恐ろしい煩悩を制御しなければなりません。
煩悩が制御できた時の穏やかさを涅 槃寂静と言います。
お釈迦様の悟りの三つ目です。
だから私は清らかなんて言える人はないのです。
しかし煩悩を制御出来なくても、まず念仏申せば極楽に行け る程のご利益があるのですから、此の世でのことなど容易に救われますよ。
まず念仏申すのです。

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