会長法話
「本願力をいただく」
一週間のことを七曜(しちよう)と言います。七つの天体をあてたのですが、また別に、私達がこの世に生きさせていただくのに欠くことのできない大切なものをあててくださっているとも受けとれます。
日曜日の日は太陽(お天道さま)、月曜日はお月様、火曜日は生活を営むのに欠かせない火、水曜日は水、水がなかったら生きることはできません。水のあるところに生命が育ちます。木曜日は木、樹木によって酸素が供給されます。金曜日の金はお金あるいは金属全般と考えてもよいでしょう。土曜日は土、土があることで作物が育ちます。土一グラムの中に百七十万個の微生物がいるおかげで作物ができます。これら全てのもとになるのは太陽(お天道さま)です。お天道さまの光と熱のエネルギーによって私達はこの世に生存が許されています。
太陽と地球との距離は一億五千万キロメートルです。これより近くても、遠くにあったとしても私達は生存できません。熱からいえば、地球に与えて下さる太陽のエネルギーは一分間に石炭を一千億トン焚いたぐらいのエネルギーが与えられています。お照らし下さる光から言えば、電気代に換算すると一時間で七兆六千億円のお照らしをいただいています。余りにも大きな恩恵であるため感じ取りにくいのです。それを大恵(恩)不覚と言います。
私達のご先祖は太陽の恵みをよくよく喜ばれ、お天道さまと崇拝し、お日さまを拝んでこられました。今やそんなお姿はめっきり見かけなくなりました。
先ほど述べましたように、お天道さまのエネルギーのお蔭でこの世に生存が許されて生かされているのですが、そのエネルギーが頂けなくなる時が必ず来ます。それが誰もが迎えなければならない肉体の死です。その時、死への不安・苦しみを取り除き、永遠の命と平安と歓びの世界である極楽浄土へと導いて下さるエネルギーがあります。このエネルギーを阿弥陀如来の本願力と申します。本願力は目で見ることも、手で触れることもできませんし、どんな発達した科学をもってしても次元が違いますから解明はできません。
ただ阿弥陀如来の本願を信じお念仏を申す者のみが感得できるものです。
お釈迦様が世に出て下さったのも、法然上人がご苦労にご苦労を重ねてくださったのも本願力を人々に示さんがためでありました。
受け難き人の身を受けさせていただいても大半の人は本願力に気づくこともなく、又浴することもなく人生を終えていかれます。
幸いにして私達は、会い難き本願力に会うことができました。このことを法然上人は「天に仰ぎ、地に伏して喜ぶべし、このたび弥陀の本願に会うことを」と仰せになっておられます。
本願に会えたことを喜ばせていただきましょう。
合掌 南無阿弥陀仏