会長法話
中村 晃和 前会長 第21話
何がおこるかわからないような世の中を仏様のお護りの中で生きていく
凶悪殺人事件や児童虐待といった悲しい事件があとをたたない毎日である。
数年前、大阪心斎橋で二人が刺殺された事件、容疑者は決まったように「誰でもよかった」と言う。京都・祇園での暴走事件・亀岡での暴走事件等々悲しい事件の連続である。
自分のやった行為がどのような結果を生むのか、分別の働かない人間がゾロゾロでてきた。安心して町を歩くこともできない時節の到来である。事件がおきる度に、対応策が講じられるが一向に犯罪は減ることはない。
対策を講じることも大事だが、なぜこのような凶悪事件が頻発するような社会になったか、その原因を考えなければ真の解決はない。それは人々の心から仏様の光が消えつつあるかである。そこのところを作家の五木寛之氏は「あたりが暗くなってきた」と表現している。
仏様の光が、もう一度人々の心の中によみがえるより他ないのです。
経には「仏様のみ心とは大慈悲心」であると説かれている。すべての人々を分け隔てなく慈しみ・育んで下さるのがみ仏のお心である。私達は仏様を拝むことによって優しい心を自然と育てて下さるのです。
それだけじゃなしに、お念仏を申す者を阿弥陀如来をはじめ諸菩薩方が、影の形に添うがごとくにお護り下さるのです。
そこのところを「南無阿弥陀仏をとなうれば、十方無量の諸仏は百重千重囲繞して(とりかこんで)よろこび護りたもうなり」と説いて下さっている。
「み仏のおん慈悲あると思う時、安らけきかなむつかしき世も」お念仏精進いたしましょう。