会長法話

中村 晃和 前会長 第26話

世間の喜びと 出世間のよろこび

 先年八十四歳で亡くなられたS奥さんは、生前「お寺参りさせていただくのが楽しみでした。」とよく娘さんに話しておられたそうです。お寺にお参りしていただいても、特別ご馳走がでるわけでもないのですが、その「喜び」というのは心に響く法話を聞く楽しみであり、お経を読み、南無阿弥陀仏とお念仏を申すことで阿弥陀如来様と心通わす喜びであります。
 この楽しみは清らかな喜び、つきぬ平安の楽しみ、魂の喜びで、「出世間の喜び」といいます。
 それに対してもうひとつの楽しみがあります。
 たとえば、ご馳走をいただいたり、旅行に行く楽しみ、娯楽テレビを見る楽しみ等種々あります。これらの喜びを「世間の喜び」と言います。この喜びも生きていくうえで大切ですが、この喜びはひと時の喜びで長く続かないばかりか、あとに清らかさを残さない空しさの残る喜びであります。
 「テレビ見てひとり笑いし そのあとで 何とも言えぬむなしさのあり」と詠んだ人があり、「歓楽きわまって哀愁を感じる」とも言われます。
 一般に人は世間の喜びを追い求めつづけていくのが普通の人の一生であります。
 しかしながら世間の喜びこそが真の幸福の世界であり、西方極楽浄土へと導いて下さる喜びであります。
 どうかお寺さまにお参りくだされ共々に「出世間の喜び」を味わっていただきたいものです。

合掌

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