会長法話

中村 晃和 前会長 第30話

お念仏の教にお出会いできた喜び

 この地球上にたくさんの生物がいる中で人間としての生をうけることができるのは七十兆分の一だともいわれ、生命科学の第一人者で筑波大学名誉教授村上和雄先生は、人間として生をうけることができるのは一億円の宝くじに百回連続で当選するくらいの確立しかないとおしゃっています。この地球上にたくさんの生物がいる中で人間としての生をうけることができるのは七十兆分の一だともいわれ、生命科学の第一人者で筑波大学名誉教授村上和雄先生は、人間として生をうけることができるのは一億円の宝くじに百回連続で当選するくらいの確立しかないとおしゃっています。
 私達は生まれ難い人間としての生を受けさせていただいたのです。
 すでに人間としての生を受けさせていただいているために実感がわいてこないのですが、そんな受け難い人界の生を受けさせていただいても仏縁に会える人はまれであります。
 仏縁を得た人でも、お念仏の法門にお出会いできる人となるともっと少なくなります。
 親鸞聖人は八十五歳の時に、法然上人のお徳を誉め讃えるために「法然房源空上人御和讃」をお作りになっています。
 その一首に「曠劫多少のあいだにも出離の強縁しらざりき、本師源空(法然上人)いまさずば このたびむなしくすぎなまし」と詠んでおられます。
 どのような内容かと申しますと、
 永劫の長い間、私(親鸞)は悟を開かずに六道流転してきた。しかし今、本師源空上人のおかげで念仏門に入って「出離」、六道輪廻を離れる悟りに入るご縁を戴いた。もし源空上人にお会いできなかったなら、これ又空しく過ぎてしまうところだった。有り難かったという意味です。
 私達も受けがたき人身をうけさせていただき、六道輪廻の迷いの世界からぬけでることのできる本願念仏の教えにお出会いすることができましたことは望外の喜びであります。

合掌

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