会長法話

鈴木 超淳 前会長 第7話

仏法の教えに「もし愚者が、我は愚かであると知れば、すなわち賢者である、愚かな者でありながら、しかも自分では賢者だと思う者こそ愚者と呼ばれる」と示されます。
私はつまらない、愚かな者ですと口では言いますが、他人から言われると腹がたちます。
この世の中で、一番大事なのは自分自身だから、賢者になれないのです。
阿呆になっているのが良い時でも、阿呆になれずに争いをしてしまうことが多いのです。
阿呆になるには、阿呆ではなれず、阿呆になれないから阿呆なりと言われます。
知恩院へ参詣された湯川博士が、岸猊下と話をされた時、猊下が「念仏すればするほど、己の愚かさ、罪の深さに気づきます」と言われ、博士が「研究すればするほど解らないことがでてきます」と言われました。
お念仏を称えることにより、自分の愚かさ罪の深さに気づき、反省することが出来て仲良く、幸せに暮らせるのです。

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