今月の法話

令和4年9月

「宗歌」

浄土宗門校の大阪、上宮高校の校歌は、高校野球ファンにもっとも覚えやすい校歌として知られています。その理由は、次のようなシンプルな歌詞にあります。

 「月影の いたらぬ里は なけれども 眺めむる人の 心にぞ澄む」

 この歌詞は、実は校歌としてつくられたものではありません。もともとは法然上人が詠(よ)まれた「月影」という和歌で、のちに十八番霊場(法然二十五霊場の一つ)京都の月輪寺の御詠歌になり、今日では浄土宗の宗歌となっております。

 この歌の意味は、「月の光が照らさない所はないが、月を眺める人の心にこそ月は澄み渡るのである。」と言うことです。

 法然上人は、この月影の中で仏の慈悲の心を月の光にたとえていますが、これは『観無量寿経』の「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」という阿弥陀仏の心を示した一節を、どんな人々にも理解できるように和歌にして説いたものといわれています。

 つまり、阿弥陀仏の慈悲で救われるのは、厳しい修行をした僧侶や財力のある人だけでなく、それに気づいてお念仏をお称えした人は平等に救われることを世間の人たちへ教えたのです。

 太陽の光は、まぶしすぎて、人はそれを直視することができません。しかし、月の光は、すべての人がゆっくりとおだやかに眺めることができます。そんな月の光のような誰にでもやさしい心を、わたくしたちはつねに持ち続けていたいものですね。

南無阿弥陀佛

北海道第一 長福寺
梅庭英良

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