今月の法話

令和7年5月

『葵祭と欣求浄土』

 京都左京区にある百万遍知恩寺は、言わずと知れた浄土宗の大本山ですが、その前身は、平安時代に加茂神社の神宮寺(神社内に建てられたお寺)として建立された寺で、元々は比叡山の里房として「賀茂の禅房」と呼ばれていました。法然上人も幾度となく訪れており、「我はただ ほとけにいつか あふいぐさ 心のつまに かけぬ日ぞなき」という歌をこの地で詠まれております。法然上人ご遷化の後には、弟子の源智上人が法然上人の御影を祀り、念仏道場として浄土宗の拠点とされました。更に様々な遍歴を経て現在の知恩寺となってゆくのですが、明治の神仏分離までは加茂神社とは深い関わりがあったのです。

 この加茂神社の神紋は「ふたば葵」が使われています。ふたば葵には神様と人との「出会い」という意味があり、同神社で約1500年前より行われている「葵祭」という厄災封じの祭事には、参加者が神様との出会いを願い、ふた葉葵をあしらった装飾品を着けるそうです。それを踏まえて先の詩を意訳すると、「葵祭で、ふたば葵を身に着ける様に、私(法然)は仏(阿弥陀さま)にお会いできる事を願わなかった日は1日もありません。」と解釈できます。まさに法然上人が、念仏往生を深く信じ、日々の生活すら、お念仏をお称えする為であるという、ゆるぎない信念が伺える歌なのです。

 昨今の米価格の高騰は、まさに現代における飢饉の様であります。葵祭から極楽浄土に想いを馳せた法然上人の様に、混沌とした現代にこそ、浄土を求めるお念仏の教えが必要であると痛感する次第です。

合掌

岐阜 正道院
竹中純瑜

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